今回は、”「心理的安全性(psychological safety)」から見る「教育」
” というテーマで考えてみます。

今や地に落ちた感のある Google(昔は、成功事例として、様々な取り組みがマネされるとてもイノヴェーティヴな企業でしたが、、) の「プロジェクト・アリストテレス」で有名になった「心理的安全性(psychological safety)」は「教育」にとってどのような影響があるのでしょう?
学校教育の ” 対面集団ご講演座学授業 ” の効果・効率の悪さについては、いまさら語るまでもないでしょうが、” 現実として ” 、
” 対面の、集団での、ご講演座学 ”
が全国、全世界の殆どの学校で今も行われています。
そのような状況で、組織論として提唱された「心理的安全性(psychological safety)」を持ち出す場合が多々あります。
特に、校長や教頭といった自分では「教育」を行わない管理職が、何かのロクでもない ” ビジネス本 ” を読んで、
「生徒の ” 心理的安全性 ” を担保すれば学習成果がでます!」
などと朝礼で言ったりしますね?
(心理的安全性:psychological safety)
組織のなかで自分の考えや気持ちを、誰に対しても安心して発言できる状態を表す度合いのこと。
組織行動学のエイミー・C・エドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義。
Googleの「プロジェクト・アリストテレス」で、「心理的安全性の高いチームのメンバーは、離職率が低く、他のチームメンバーが発案した多様なアイディアをうまく利用でき、収益性が高く、マネジャーから評価される機会が2倍多い」ということが判明。
4つの不安:「無知だと思われる不安」、「無能だと思われる不安」、「邪魔をしていると思われる不安」、「ネガティブだと思われる不安」。
(効果)
・率直な意見の表明
・エラーの認識と共有
・相互支援
・創造性と革新
・学習と成長
・チームのパフォーマンス向上
・従業員の満足度とエンゲージメントの向上
(方略)
・リーダーシップの役割
リーダーが率先してオープンで支持的な態度を示し、メンバーの意見を尊重する。
・フィードバックの文化
建設的なフィードバックを奨励し、ミスを責めるのではなく、学びの機会として捉える。
・オープンなコミュニケーション
意見交換が活発に行われる環境を作るために、定期的なミーティングやワークショップを開催する。
・多様性と包摂性の尊重
多様なバックグラウンドや視点を持つメンバーを受け入れ、包摂的な文化を育む。
というような考えです。
「DEI(Diversity, Equity & Inclusion)」を放棄してしまった今のGoogleでは受け入れられない内容ですね、、、?
さて、「心理的安全性」を教育現場(学校教育)に持ち込んで、教師と生徒、生徒同士の関係性を強化し、学習の質を向上させようとする苦肉の策には、
(教育方略)
・オープンなコミュニケーションの促進
教師は生徒に対して、どんな質問や意見でも自由に言える環境を提供。質問することや意見を述べることに対する恐怖心を取り除くために、積極的に生徒の発言を尊重し、肯定的なフィードバックを与える。
・エラーや失敗を学びの機会とする
生徒が間違いを犯した場合、それを罰するのではなく、学びの機会として扱う。教師はエラーをポジティブに捉え、どのように改善できるかを共に考える姿勢を示す。
・多様性と包摂性の尊重
教室内で多様な背景や意見を持つ生徒が安心して自分を表現できるように、多様性を尊重し、包摂的な文化を育成する。全ての生徒が平等に扱われる環境を作り出す。
・共同作業とチームワークの奨励
グループプロジェクトやペアワークを通じて、生徒同士が協力し合う機会を増やし、生徒は互いの意見を尊重し、協力することの重要性を学ぶ。
・自主性と主体性の促進
生徒が自分の学びのプロセスに積極的に参加し、自主的に行動できる環境を提供。プロジェクトのテーマ選びや学習方法の選択など、学習に対する自主的な関与を奨励する。
・フィードバックの文化の構築
定期的に建設的なフィードバックを行い、生徒が自分の進捗や課題を理解し、改善する機会を提供。
などがあり、その結果として、
・学習意欲の向上
・創造性と問題解決能力の向上
・学業成績の向上
・社会的スキルの発展
・自己肯定感の向上
といったことが見込まれる、、、そうです。
そんな簡単なモノでしょうか? という疑問があります。
「教育」の目的は「学習者」に「学習」させることです。
「学習」においての「心理的安全性」という事案を考えると、どうも違う方向に行くように感じられます。
大学院などで、自分がやりたいコトを学ぶような環境においては、たしかに「心理的安全性」は必要でしょう(得てして雑用に振り回されて学べないなどという現実も多いですから、、、)。
しかし、学校教育の集団授業で「心理的安全性」は「学習」を阻害する方向に「学習者」を誘導してしまう場合もあるように思われます。
何事にも ” 寛容 ” である状況は ” 学習のテンション(緊張・不安) ” を無くそうと作用します。
「学習」には、ある程度の「緊張」や「不安」といった要素が必要だと思うのです。
「緊張」や「不安」があるからこそ、「学ぶ」ということがあります。
「学校へ行くのが好き」
「授業が楽しい!」
「先生や同級生が面白い!」
は、勿論いいのでしょうが、
それは ” 今の受験を前提とした学校構造 ” の「教育・学習」とは少し違うように思うのです。
その構造が変わり、本来の姿である「教育・学習」においては「心理的安全性」も悪いとは言いませんが、、、