今回は、 ”「想定を超える教育効果」についての考察 ” というテーマで少し考えてみます。

ChatGPTがトレンドになり、子供から老人まで、、誰もが「AI」というコトバを口にするようになってから、
「様々な当たり前のことが当たり前でなくなってきた」
ように思います。
「学習という分野」においては、
「 AI に頼めば何でもやってもらえる」
「記憶なんてしなくても、その都度 AI に尋ねればいい」
という風潮に染まってしまった感が満載(?)です。
確かに、学習においては「記憶(言語情報)」だけでは無意味で、「応用(知的技能)」が重要だというのは、一概に間違いではない(不必要な内容・情報まで記憶する必要はない)のですが、
「記憶しなくても、応用できる」
ということが「 ”今 ” の当たり前」になってしまっているように思うのです。
「記憶をして、それを元に応用する」という、学習における「当たり前」が「当たり前」ではなくなりつつあります。
そして、「教育という分野」では更に酷い状況であるように思います。
「インストラクショナルデザインなんて、最高でも設計した結果(成果)しかでないだろ?」
「学習目標だけをクリアするような教育なんてダメだ」
「創造性を育む教育こそ必要だ!」
「学ばせたこと以上の成果を・・・」
といった風に、
「想定を超える教育効果」
を安易に求める人たちがどんどん増え続けています。
何事においても、
”ステップ・バイ・ステップ ” ”スモール・ステップ ”なんて言っていた時代は遠い昔の話で、”クリエィティブ ””イノベーティブ ” でなければ”まったく ”意味がない、、、、
「当たり前のことが当たり前でなくなってきた」
から、
「当たり前のことなんて無意味」
に変化し、
「想定を超える教育効果」
を出す方法を考えろ、、、、と。
しかし、今の時点でそういったことを考えると、結論としては、
「それは教育ではない」
ということだと思います。
「想定した学習内容を学習させ、習得させる」
ことが、「教育」であるからです。
「想定」していない結果が「良くても、悪くても」、それは「教育の成功」ではなく、「教育としては失敗」なわけです。
「学習」がたまたま結果を出しただけのことで、「教育」は関係がありません。
”あくまで ” 今の時点ではです。心理学、教育学、教育工学、哲学、インストラクショナルデザインは万能ではありません。
それ以上に、まだ ”AI ” は万能ではありませんし、たとえ、今の AI がさらなる進化を遂げて、「教育」がすべて AI の制御によって行われるモノになったとしても、
「想定を超える教育効果」
が得られるようになるかどうかは、、、誰にもわかりません。
そして、そんな時代が来るまで私(私たち)は生きていないでしょうから、とりあえずインストラクショナルデザインがほかに比べてベターだと考えていくしかない、、、のです。