louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

ギャンブラー学習者にならない教育の必要性

今回は、「ギャンブラー学習者にならない教育の必要性」 というテーマで少しだけ考えて見ます。

 

ギャンブラー学習者にならない教育の必要性


もうすぐ日本でもカジノが開設され、カジノの親玉のような人がアメリカ大統領になったから、、、” ギャンブラー ” にならないように教育する、という話ではありません。


” 学習者の不完全な知識・スキルの習得と、その認識による誤った判断 ”

 

のことです。


例えば、テストなどでわからない問題があった場合、時として学習者は ” ギャンブラー ” になります。


昔の小学生がよくやっていた ” 鉛筆を転がして回答を決める ” といった行為は、” ギャンブラー ” のそれそのものです。


そして、万が一、” 鉛筆転がし ” で書いた解答が正解でもしていた場合、その学習者は次も同じ行為を繰り返します


このことは、 ”パチンコではトータルでほとんどの人が負ける ” というまぎれもない事実を否定し、たまたま勝った時の記憶やイメージを持ち続ける ” 成功体験 ” をヨシとして打ち続ける人と同じ現象です。


このような学習(?)は、今の時代だと、” 生成AI ” に答えを委ねて課題や論文を提出することにもつながっています。


中には、純粋に時間が足りなくて、、といった場合もあるでしょうが、ほとんどの原因は、


” 正確な知識・スキルを習得していない ”


ということだと思います。


正確な知識・スキルを習得していれば、鉛筆を転がしたり、生成AI に委ねたりする必要はありません。


そして、この ”ギャンブラー ” になってしまった学習者は、自分の進路人生においても誤った判断をしてしまうことになります。


自分の知識・スキルレベルでは到底届かない学校を志望校にしたり、就活でありとあらゆる応募をしたり、、、


「ワンチャン(One Chance)」


を期待して、、、、、、大概は失敗します。


このような不幸な学習者を出さない(少なくする)教育の必要性は、特に経済、産業、政治等すべてが右肩下がりのこの国では、非常にプライオリティが高いと思うのです。


「1つ1つを正確に、確実に習得する学習」を促す教育

 

が必要です。


いい加減な成功体験や、偶然、創造、探求を賛美するよりも前に、教育が果たす使命はそういうことだと思うのです。


勿論、いつも数学で満点を取っている学習者を数学者に導く必要もありませんし、英語の得意な学習者を楽天(?)に、、、ということではありません。選択は学習者自身の問題です。


学習者が学習において ”ギャンブル ” する必要をなくすということを論理的に理解させるということが大事なのではないでしょうか?


「テストで80点とったから合格」


という間違った学校教育から、


「何度受けてもいいから完全に理解できるまでやりましょう」


という教育にしなくてはダメだと思います。


多少の問題はあるにしても、日本には公文式があり、ネットには「カーン・アカデミー」もあります。


学校教育、企業内教育においては、 ” ギャンブラー学習者 ” を出さないことを第一に考えた教育を行うべきだと思うのです。


アメリカンドリームに憧れる心理は誰にもありますし、偶然、運命、タイミングも当然あります。


たとえ、エジソンが極悪人のように言われ(事実だったとしても)、テスラこそ天才、、だと評価される今の時代でも、エジソンもテスラもともに自ら納得できるまで学んだことは間違いがないと思うのです。


ベースとなる確実な知識・スキルがあって、その上があります。


学習者が、適当な知識、中途半端なスキルで、 ” ギャンブル ” を繰り返さざるをえない選択、人生(自己の反省も含めて、、、)を歩まないように、教育をやるからには「完全習得」を目指す必要があるのだと・・・