louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「なぜそこにいるのか?」を認知させる

今回は、 ”「なぜそこにいるのか?」を認知させる ” というテーマで考えてみます。

 

「なぜそこにいるのか?」を認知させる


哲学的なことではまったくなくて、教育、人材育成などについてのお話です。


学校の授業や、企業内教育、研修等において学習者の心理として、


「意味がない」

「早く終わってくれ」

「こんなことを学んで何になるの?」

「とっくに知ってるよ!」


なんていうことを考えている人が一定数いると思います。


こういった心理の学習者には、どのような教育デザイン、方略もあまり役に立たないことが多いように思うのです(まぁ、レベル別や前提知識の有無、事前テストでの確認をやっていないことも影響はしますが)。


何度も言うように、「学習は学習者が行う」ものですから、学習者自身がアクティブ(自分が学習しようと思うこと)にならなければ、結局はどうにもなりません。


” 学習者の心理を考える ”  教える側の人も最近は多少出てきて、


「学習者のモチベーションをあげるには?」


といった類の研修やビジネス書が山ほど出ています。


勿論、そういったこともある程度は大事なことだとは思います。しかし、こういった取り組みはあまり(ほとんど)上手くいかないことが多いのではないでしょうか?


「モチベーション」については、これまで何度も考えてきましたし、幾つかのモデルや方略を紹介もしてきました。


特に日本のインストラクショナルデザイン界隈では、今でも、 ” ARCS(「注意喚起(Attention)」「関連性(Relevance)」「自信(Confidence)」「満足感(Satisfaction)」 ” を推奨することが多いのですが、企業内教育には全く向かないですし、学校教育でも成果を出した、、、という話はあまり聞きません。

 

また、その他の方略やモデルも、極局所的には若干効果があったという研究もあるのでしょうが、眉唾モノの域を脱しないような気がします(外発的動機づけ→内発的動機づけ→外発的動機づけ・・・を繰り返す方略は機能すると思いますが、、、)。


そこで考えたのは、


「なぜそこにいるのか?」を認知させる


ということです。


学習者自身が、” そこ(学校、職場、研修センター等)” にいる ” 理由 ” を考えさせ、それが万が一(可能性はわかりませんが)習慣になれば、教える側がどんな授業、研修をしたとしても学習するのではないか?


と思ったりするのです。


人間は、習慣と惰性の生き物です(?)。 朝早く起きて、満員電車に揺られ、または自転車や車で、わざわざ学校や職場に通学・通勤して、 ” 今なにをやっているのか? ”


と、考えることがあれば、その人の行動は多少変わるのではないでしょうか?

学校で悪いこと(?)をやって、職員室に呼ばれ、


「なんで呼ばれたかわかるか?」


から始まる方式です。


” みんなが通学、通勤している、それが普通で当たり前 ”


、、、などと俯瞰してしまっているのがほとんどの人間だと思います。


よくテレビドラマや映画で、何かのきっかけで、主人公が、


「俺はいったい何をやってたんだ、、、」


「なぜここにいるんだ、、、」


などという場面を見たことがあると思います。


高尚なコトバを使うなら ” 覚醒 ” ということかもしれません。


まぁ、そこまでは難しいかもしれませんが、学習の場においても、


”「なぜそこにいるのか?」を考えさせ、認知させる機会 ”


をできるだけ多く作るべきではないかと思うのです。授業、研修等の最初と中間と最後にでも、、、、、(それはやりすぎかもしれませんが)。


考えた結果が、「お金のため」であっても「進学のため」であっても、たとえ「暇だから」であっても、それはそれでいいように感じます。


とにかく、


” 自分の立ち位置と、行動とをリンクさせる ”


ことは「教育・学習」「人材育成」にとって非常に有効です。


特に無駄の代表格の啓蒙、、リーダー研修や人材育成セミナー等で、いい加減な研修業者の講師や、深く考えていない会社の役員などがよく引用する山本五十六の名言(迷言だと思いますし、このコトバは嫌いです)、


「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」


なんていうことを伝えるより、


「なぜそこ(ここ)にいるのか?」


とだけ考えさせる方が、余程マシな気がします。