louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「イエナプラン教育(Jena-Plan)」について ~ やるなら寧ろ大学で ~

今回は、以前紹介したモンテッソーリ教育に近い考え方の「イエナプラン教育(Jena-Plan)」について考えてみます。


モンテッソーリ教育ほど有名ではないですが、ヨーロッパでは熱心に行われている国もあるようです。


(イエナプラン教育)

 

ドイツのイエナ大学のペーター・ペーターゼンによって考案された教育方式。
子供たちが自主性と創造性を育てることに重きを置く点にある。詰め込み教育や一斉授業に頼るのではなく、子供たちが自分で考え、自分で行動することを奨励する。

子供たちが異なる年齢や能力を持つ他の子供たちと共同で学ぶことを重視する。相互理解や協調性を育てるとともに、個々の子供が自分自身のペースで学ぶことを可能にする。

教師が一方的に教えるのではなく、子供たちが自分で問題を解決するために、教師はガイド役として子供たちをサポートする。子供たちが自分の意見を述べ、議論することを奨励する。


ということで、”理想” を語れば、このような教育がいいのだろうとは思います。


(イエナプラン教育の特徴)としては、


・クラスに異年齢がいる

4~6歳・6~9歳・9~12歳の3つのファミリー・グループに分かれて活動。教室はリビングルームと呼ばれ、新学期に子どもたちと担任(グループリーダーで交代はなし)が話し合って模様替えを行う。
グループの構成は、4~6歳・6~9歳・9~12歳からなっているため、子どもたちはクラス内で年少・年中・年長の立場を経験できる。
毎年新学期には年長の子どもが上のグループに進級し、年少の子どもがグループに新しく入ってくる。


・数国理社等の教科がない

教科はなく、「対話・遊び・仕事(学習)・催し」の4つの基本活動が設置されている。

「対話」:メンバーがサークルに座り、さまざまなテーマについて話し合う。特定のテーマを決めずに自由に話合うオープン・サークルや、テーマ学習・観察・報告・作文朗読サークルなどがある。

「仕事」:子どもたちが自分の興味・関心や得意・不得意を考えながら、自分で時間割を作る。

「遊び」:音楽に合わせて感情表現を豊かに表現したり、ゲームや劇作りをしたりする。

「催し」:週の始めの会、一日の終わりの会、年中行事、教員や生徒の誕生日などに行われる。


・ワールドオリエンテーション

理科や社会科の代わりにワールドオリエンテーションを行う。
全校共通テーマをもとに各グループにふさわしいテーマを決める。

・作ること・使うこと
・環境と地形
・年中行事
・技術
・コミュニケーション
・共生
・私の人生

ワールドオリエンテーションは、子どもたちが自分で情報を検索したり、観察・実験・インタビュー調査などをして、プレゼンテーションを行う。


・健常者と障がい者が共に学ぶ

子どもたちの集団をできる限り現実社会に近いものとしてとらえ、障がい者を積極的に受け入れて助け合って学ぶ。


(イエナプラン教育の目的)は、

知識だけでなく、子供たちが自分の能力を最大限に発揮し、社会の一員として責任を持つことができるようになること。

イエナプラン教育

詳しくはわかりませんが、モンテッソーリ教育」と大きく違うのは年齢の異なった生徒が一緒に学ぶというところでしょうか? また、健常者と障がい者が共に学ぶということもありますね?


日本にも「イエナプラン教育」をやっている私立の小学校があるようで、受験対策本なども出ているようですから、需要はあるんだと思います(私立ということで授業料がかなり高額ですね・・・)。

 

モンテッソーリ教育もそれなりに需要があるので、「イエナプラン教育」ももっとメジャーになればさらに増えていくような気もします。


ただ、これはモンテッソーリ教育の時にも記したことですが、対象が4~12歳、つまり「小学生」なわけです。

 

通常、小学校では、その後の学習に必要となる「基礎的な知識内容」を学びます。勿論、モンテッソーリ教育「イエナプラン教育」でもある程度は学ぶのでしょうが、4~12歳の生徒がこういった教育を経験して、本当に「自主性と創造性」を育むことができるのでしょうか?


こういった発想の教育の多くは、大体が中学生になるまでがメインで行われているように思います。

結局、その後の中学、高校、大学というところまで考えられていないのです。(考えられている場合もあるのでしょうが、実際にはそういった教育ではない学校に入りますね?)


学校の最終地点(?)が大学だとすると、こういったある程度自由な教育というのは「大学」で行うべきものではないか? と思うのです。

 

自分にとって自分の興味・関心があるものを「専門」として学び、研究するのは「大学」でこそ行うべきことです。

 

大学の権威ランクや、自分の学習レベルで大学や学科を決めるのではなく、大学に入ってから自分が専門とするモノを学べるということをすることが「教育改革」「大学改革」にならないでしょうか?

 

国公立大の授業料を私立大並みの150万にしろ、、とわけのわからないことを言い出す人もいましたが、本当に教育、学習と言ったことを考える大学の人がいたとしたら、、、、

 

「大学でイエナプラン教育を行う」

 

みたいな発想が出てきてもいいように思うのですが、、、

まだまだ無理そうですね・・・