louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「リベラルアーツ」と「専門性」について

今回は、”リベラルアーツ「専門性」”ということについて少しだけ考えてみます。


時代によって、

「専門性が大事」

であったり、


リベラルアーツ重視」

とか、


専門性リベラルアーツが必要」

となったりします。


この国でも、

 

高度成長期「専門性」だけがすべてで、

バブル以降の経済衰退期にはリベラルアーツのような総合的な能力が求められる一般総合職優遇、

そして現在は、

”AI に操られないよう”専門性が最優先だが、リベラルアーツが無いとやっていけない」

 

みたいな感じになってきているように思います。

リベラルアーツ

リベラルアーツという概念はかなり曖昧で多くの意味を持つことがあるので、少し整理しておきます。


リベラルアーツ

古代ギリシャやローマ時代から中世のヨーロッパまで続く伝統的な教育課程の一部であり、文学、哲学、数学、自然科学、社会科学など幅広い学問領域をカバーしている。人間の理解、思考、コミュニケーション能力を高めるためのものであり、「自由な人間(liberalis)」を育てるための教育。

 

現代では、リベラルアーツは大学の教育課程の一部として提供されている。特定の専門分野に集中するのではなく、広範な知識を学ぶことを重視。学生は多角的な視点から問題を理解し、批判的思考、コミュニケーション、問題解決のスキルを身につけることができる。

 

実社会の課題解決に必要な総合力。

 

一つの専門分野だけでなく、複数の領域の知識を含めた、社会の課題解決に必要とされる総合力

生きるための力を身に付けるための手法。

 

確かに、生きていく上でリベラルアーツは大切なスキルであり重要な概念であることは間違いありません。

大学の「教養課程」だけでなく、リベラルアーツ」だけを学ぶ学科なども出てきているようですね?

 

リベラルアーツ教育)メリットデメリットは、


(メリット)

 

・広範囲の知識

人文科学、社会科学、自然科学など、様々な分野について学ぶことが求めらる。多角的な視点と広い知識を身につけることができる。


・柔軟な思考力

批判的思考、問題解決、コミュニケーションなどのスキルを養う。どのような職業においても重要なスキルとなる。


・適応能力

様々な問題に対する解決策を見つける能力を養う。変化する世界に対応する能力が身につく。


(デメリット)


・専門性の欠如

広範な学問をカバーしているが、特定の分野について深く学ぶ機会が少なくなる場合がある。


・就職の難易度

技術的な職業や、特定の専門知識を必要とする業界では、リベラルアーツのスキルだけでは難しい場合もある。


・学費

リベラルアーツの学位を取得するためには、高額な学費が必要となる。特に私立のリベラルアーツ大学は、学費が高いことで知られている。


しかし、ここで思うのは、リベラルアーツ教育の配分が大きくなるにつれて「専門性」のレベルが相当下がっているように感じられるのです。


極論を言ってしまえば(いつもですが)、


”大学は専門性を養う場”


であってほしいと思うのです。


リベラルアーツの習得など、社会へ出てからでも全く問題がないのではないかと、、、


それ以前に、

1,2年の教養課程というのが、本当に必要なのか? 

とたまに思ったりもします。

 

修士課程、博士課程に進むことが前提であるなら、それもイイでしょう。しかし、この国の場合、同じ大学の院に進む場合でも、入学金を納めなくてはならないし、授業料も同じように必要です(せめて国公立大学くらいは、すべて無償にするべきだと思うのですが、、、)。


そのため、大部分の人たちは3,4年生の、

「2年間だけ専門分野を学ぶ」

ことになります。

 

そして、会社に入ったらまたリベラルアーツだ!」とか言われて、「リスキリングしろ」などとなります。

 

会社、国を発展させるのであれば、やはり「教育・学習」の分野では、「専門性の追求」こそが必要だと思うのです。


昔、インドの人たちが  ”IT” に関しては非常に優れているという話がありました。なぜ? と思ったこともありましたが、ブラジルやアルゼンチンの人たちが生きていくには  ”サッカー” しかない、ということと同じですね?


あれもこれもできる、、、というのは確かにカッコいい、、、ですが、すべての「専門家」になることは不可能です。


大谷翔平選手”野球”の「専門家」です。
「二刀流」は2つの分野の「専門家」ではなく、「投げる」「受ける」「打つ」「走る」といった”野球”の範疇内ですから、”野球”の「専門家」なわけです。

”野球”だけを懸命に練習したから彼の今のポジションがあるわけですね?


会社でも社会でも、本当の ”プロフェッショナル”、”エキスパート” が必要だと思うのです。

 

メディアに出てくる芸人のような「専門家」を見るたびに、その思いは強くなります。


「人生100年時代」

それは生存している時間が長くなったということです。リタイヤしてから「リベラルアーツ」を学ぶ時間は十分にあると思うのです。