louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

積読 (つんどく) のススメ Part 13

今回は、「積読 (つんどく) のススメ Part 13」です。

 

「積読 (つんどく) のススメ Part 13」



なんだかんだとやることがあって、このところ積読が滞っていたりしますが、所詮は積読なので、「読めるときに読めばいい」と自分自身に言いきかせていたりします。


何かを習得するとか、目標を達成するために読書をしているわけではないので、それでいいのですが、やはり日々の習慣が崩れるというのは、若干のストレスになってしまったりします。


それで、これまでの習慣を別の習慣に置き換えようと無意味に足掻いていたりするわけですが、もう少し時間がかかりそうです。


こういったことは、教育・学習のデザインと同じで、その方が絶対的に正しいに決まっているのに、様々な環境の問題や心理、物理的にその方略を取ることができない、、、というジレンマに近いものがあります。


ということで、今読んでいる(&読んだ)5冊を紹介(amazon等の解説)、感想を記していきます。

 

「 言語ゲームと社会理論(ヴィトゲンシュタイン・ハート・ルーマン) /  橋爪大三郎(著) 」


本書は二つの対立する法理論(ハート、ルーマン)の検討を通して、言語ゲームのアイデアを新たな社会理論へと結晶させようとしている。

この本は、ハートの法社会学を、ウィトゲンシュタインとの連続の上で捉え、ルーマンの個別主義的アプローチの限界を指摘する。3人の名前が出ているが、メインはハート。

ウィトゲンシュタインの言語ゲームを社会学に応用

第1章 〈言語ゲーム〉――ヴィトゲンシュタイン
第2章 ゲームとしての法――ハート
第3章 予期 VS ゲーム――ルーマン

 

解説にあるように、ヴィトゲンシュタインというより、著者が最も力をいれているのはハートの考えですね。まぁ、それはそれでいいのですが、やはりこの手の本を手に取る人の大半はヴィトゲンシュタインの考えをどう説明してくれるか、、ということに興味があると思います。

その点では、結局はヴィトゲンシュタインは「言語ゲーム」について語りえぬものとしてしまうというのは、、、、客寄せパンダ的に使われているように思ってしまいました(ヴィトゲンシュタインはいつの時代も人気者ですから)。

 

「 ちくま哲学の森 2 世界を見る  /  鶴見 俊輔 (編集), 安野 光雅 (編集), 井上 ひさし (編集), 森 毅 (編集), 池内 紀 (編集) 」


近代とは何か(竹内好)研究者と実践者(桑原武夫)無思想人宣言(大宅壮一)哲学の正しい方法(ヴィトゲンシュタイン)など全21篇

リンゲルナッツ、マーク・トウェイン、金子ふみ子、大岡昇平、E・H・ノーマン、中野好夫、竹内好、花田清輝、桑原武夫、大宅壮一、寺田寅彦、岸田國士、オルテガ・イ・ガセー、田中美知太郎、バートランド・ラッセル、ヴァレリー、ハイネ、ベルグソン、ヴィトゲンシュタイン、ディドロ、澁澤龍彦


普段読まないような人が集められていてとても面白かったです。特に贔屓のラッセルやマーク・トウェイン(ヴィトゲンシュタインは論考の最後の部分だけなので残念)、そして「研究者と実践者 / 桑原武夫」は少しずれているかもしれないけれど、とても興味深く、納得できることも多くあって、大宅壮一、岸田國士とともに、著作を読んでみたいと思わせるもので、1つの収穫かもしれません。

 

「 ご冗談でしょう、ファインマンさん(下) / R.P.ファインマン (著) 」


面白エピソード満載の本書。しかし、惑わされてはいけない。いたずら好きのファインマンは、この本で読者を試しているかも知れないのだ。何事も疑うことを忘れちゃいけないよ。確かなことなど、この世に何ひとつないのだから、と。疑うことにかけては天下一品。魔術師的天才と呼ばれた人を、疑いながら読め。


(上)を買ってから約1年(?)、なかなか値段が下がらなかったのですが、やっとのことで買ってもいいレベル(とても低い、、)になったので購入しましたが、ファインマンの自慢話はもういいか、、、という気になりました。やはり、下っ端だったロスアラモスくらいまでが限界ですね、、、。

 

「 プラグマティズムと教育: デュ-イからロ-ティへ  /  柳沼良太 (著) 」 


デューイからローティへ継承されていくプラグマティズムと教育理論の関係を吟味するとともに、プラグマティズムに基づく教育理論が持つ可能性とその今日的意義を再検討する。


これまで、プラグマティズムにあまり興味が無かったのですが、まぁ、知っておいて損はない(?)と思い、ついつい手に取ってしまいました。デューイ中心の内容なのですが、パースの考えがシンプルで、もうそれでいいのではないか、、などと思ってしまいました。

ただ、なぜこれまでデューイに思い入れができなかったのかの意味が少しわかった気がします。彼は思考・理論は3期に別れているんですね、、、、

 

「 死に至る病  /  S.A. キェルケゴール (著) 」


「死に至る病」とは絶望のことである。本書はキェルケゴールが絶望の暗黒面を心理学的に掘りさげつつ、人間というものの本質を激しく追求したものであるが、繊細深刻をきわめる絶望者の心理描写の中には、多分に著者自身の自己分析と自己告白とが含まれている。ここに著者の哲学的思索の根本的な特色がある。


おそらくこれまで本当の「絶望」を知らない人間にはなかなか難解な理論であるように思います(私自身も)が、一応の古典であり、名著なので110円ならいいでしょう、、と購入。

なかなか読み進めるのが難しい本ですね。

 

ということで、今のとこと完読しているのは「世界を見る」「ファインマン」だけですが、まぁ今後それぞれの印象が変わることはないように思います。

 

少しだけ環境やおかれている状況が変わっただけで、「積読」すら上手くいかなくなったというのは、デザインがよくないので、形成的評価をして、新たなデザインを考え中、、、というところです。