louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「二要因理論」と「学習動機の2要因モデル」 ~ 見逃されている「観点」 ~

今回は、”「二要因理論」と「学習動機の2要因モデル」 ~ 見逃されている「観点」 ~ ” というテーマで少しだけ考えてみます。

見逃されている「観点」

この二つの考え方は、どちらも モチベーション(仕事、学習)についての説ですが、「仕事」「学習」、「企業内教育」と「学校教育」等についての ” 一般的な学者・研究者の考え ” であるように思います。


(二要因理論:Herzberg's Two-Factor Theory)


心理学者フレデリック・ハーズバーグ(Frederick Herzberg)によって提唱された仕事の動機づけに関する理論。

” 職務満足 ” と ” 職務不満足 ” を引き起こす要因が異なるとする考え。


・二つの要因


1.動機付け要因(Motivators)

職務満足を引き起こす要因であり、仕事そのものに関連している。達成感、承認、仕事そのものの性質、責任、昇進、成長の機会などが含まれる。

これらの要因が充実していると、従業員のモチベーションが高まり、仕事に対する満足感が増す。


2.衛生要因(Hygiene Factors)

職務不満足を防ぐ要因であり、仕事の環境や条件に関連している。給与、労働条件、人間関係、職場のポリシー、監督の質、職場の安全性などが含まれる。
これらの要因が不十分であると、不満足感が生じるが、これらが充実しているからといって必ずしも高いモチベーションや満足感をもたらすわけではない。


(学習動機の2要因モデル)


市川伸一がした「学習動機」を「学習の功利性」と「学習の重要性」のマトリクスで表した理論。

動機づけを内発的・外発的の2種類だけに留めることなく整理。

学習における直接的な報酬をどの程度期待しているのかということを横軸(功利性)、学習内容そのものをどの程度重視しているのかということを縦軸(重要性)としたマトリクス上に”6つ ”の動機づけを分類。


①充実志向 学習自体が楽しい
②訓練志向 知力を鍛えるため
③実用志向 仕事や生活に活かす
④関係志向 他者につられて
⑤自尊志向 プライドや競争心
⑥報酬志向 報酬を得る手段として


横軸が右になればなるほど、学習による報酬に対する期待が大きい動機づけであり、縦軸が上のほうが学習する内容そのものに対する重要性が大きいと捉えている動機づけ。

6つに動機づけを分類して整理したうえで、①から③の充実志向・訓練志向・実用志向を「内容関与動機」、④から⑥の関係志向・自尊志向・報酬志向を「内容分離動機」と名付けた。

「内容関与動機」「内容分離動機」はそれぞれの動機づけ同士の相関が高く、関係し合っている。


ということです。


ハーズバーグの「二要因理論」は、「報酬」や「昇進」だけが仕事のモチベーションではなくて、無能な上司の常套句である「やりがい」や、「安全性(精神的)」や「自己効力感、、、「環境」などの話で、


「学習動機の2要因モデル」は、根本的には、例のARCS(「注意喚起(Attention)」「関連性(Relevance)」「自信(Confidence)」「満足感(Satisfaction)」)に近い考え方かもしれません。


これが ” 学者、研究者の考える ” 「働くこと、学校で学ぶこと」のスタンダードのように思います。


しかし、こういった考えには、「決定的に抜けている観点」があります。

それは以前にも記していますが、


「学校はお金を払って行くところ」


「職場はお金を貰いに行くところ」


ということです。


この「観点」をほとんどの ” 学者、研究者 ” が見いだせないのは、


「行きたくもないのに学校行く」

「やりたくもない仕事をお金のためにやる」


ということの経験や思考が絶対的に少ないことに起因するのではないかと思っています。


統計的にはわかりませんが、” 学者、研究者 ” の多くは、経済的環境に恵まれ、自ら学ぶことに興味を持つ人が多いのではないでしょうか?


勿論、家庭に経済的余裕がなく、教育ローンを借りて学び、” 学者、研究者 ” になっている人もいるとは思いますが、” 学者、研究者 ” で生活ができるようになった時点で上記の「観点」が頭から抜け落ちます。


仕事、学習に対する ” モチベーション ”  や ” 価値観 ” は個人により違うでしょうし、全てを網羅した理論など作れるはずもないことは理解していますが、このような状況では、「研究と実践の融合」など永遠にできるはずもありません。

 

少し前のトレンドに「上級国民」「下級国民」というのがありましたが、その定義でいうと、大多数の人は「下級国民」なわけです。


そして、「上級国民」である ” 学者、研究者 ” の提言や理論は、


「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない」


というコトバのように響くのです。


以前紹介した、「在野と独学の近代 / 志村真幸」に書かれているような時代はもう来ないでしょうが、大部分の「下級国民」の「仕事・学習・教育」を語るのであれば、そこに一度身を置いて考えることが重要なのでは? 

などと考えるのです。

共同研究やコンサルを行ったくらいでは、現状は何も見えないと思います。