J.Kuhl によって示された「活動制御理論(Action Control Theory)」について考えてみます。
自己調整学習を促す1つの理論だと思います。
(活動制御理論)
J.Kuhlが提唱した心理学の理論であり、人間の行動や意志決定のプロセスを説明。この理論は、人間が目標を設定し、それを達成するための行動を計画し、実行する過程を解析しようとするもの。
人間の意志決定や行動に関する心理学的フレームワークで、自己調整と自己動機づけの過程を理解するためのもの。
心理を理解して、学習者を学習に導く、、というと、
インストラクショナルデザインでは「ARCS:学習意欲を注意(Attention)、関連性(Relevance)、自信(Confidence)、満足感(Satisfaction)」の方が余程有名だと思います。
が、私的には、、、「ARCS」に、いくつか納得できない点もあって、他に何かないかと探していて、J.Kuhl の「活動制御理論」の方がまだ”マシ(?)”ではないかと思うようになりました。
「ARCS」も「活動制御理論の方略」も似ているといえばそうなのですが(当たり前)、「自分事」で少し当てはまるようなことがあったので、今回は「活動制御理論」を取り上げてみました。
「活動制御理論」は、4つの主要な概念に基づいています。
・行動の開始
行動の最初のステップは、自分が何を達成したいかを決定し、それに向けた行動を開始すること。これは自己調整のプロセスの一部であり、目標設定と一緒に行われる。
・行動の維持
一度行動を開始したら、その行動を維持し続けることが重要。達成したい目標に向かって一貫して進行し続ける。
・行動の変更
状況により、初めに設定した行動計画の変更が必要になることがある。新しい情報やフィードバックに基づいて変更が行われ、自己調整の重要な部分。
・行動の終了
最終的に、目標が達成された場合、その行動を終了する。達成した目標を評価し、新たな目標に移るためのステップ。
ということで、
メリットとデメリットは、
(メリット)
・包括的
行動を開始、維持、変更、終了する過程を包括的にカバー。これにより、個人が目標達成のためにどのように行動を調整するかについての深い理解を提供できる。
・応用性
教育、仕事のパフォーマンス、健康行動など、多くの領域に適用可能。
・自己調整の理解
個々の自己調整能力と、それが行動にどのように影響を与えるかについての洞察を提供。モチベーション、自己効力感、自己制御など、個々の行動に大きな影響を与える要素を理解するのに役立つ。
(デメリット)
・個体差の考慮不足
個人の行動を説明する一般的なフレームワークを提供するが、個々の違い(例えば、性格、能力、経験など)は十分には考慮されていない。
・環境要因の無視
個人の自己調整に重点を置いているが、環境要因(例えば、社会的影響、文化的な影響など)が個人の行動に与える影響はあまり考慮されていない。
・操作的定義の不足
一部の概念(例えば、行動の開始や変更など)は、具体的な操作的定義が不足しているため、研究での使用が難しい場合がある。
メリット、デメリットについてはARCSもそう変わらないと思いますね、、結局のところその目標は
「学習者が学習する」
ということですから、、、
次に、「活動制御理論」の6つの方略について、鈴木先生の著書「インストラクショナルデザインの道具箱101」で書かれている内容です。
・選択的注意
(対立する活動の情報処理をしないこと)
個人が特定の情報に焦点を絞り、他の情報を無視する能力を指す。選択的注意を通じて、個人は重要な情報に注意を向け、目標達成に関連する情報を優先することができる。
・記号化制御
(現在の意図に関連するものを選択的に意識に上らせる)
情報を理解し、記憶するための方法。個人は、情報を自分自身の理解に合わせて解釈し、それを記憶に格納するための記号やコードを使用する。
・感情制御
(意図を支援する感情のみを許容する)
個人が自分の感情を管理し、それが自分の行動や意思決定にどのように影響を与えるかを制御する能力。感情制御により、個人は自分の感情を理解し、それを適切な方法で表現することができる。
・動機づけ制御
(現在の意図の卓越性を再確認)
個人が自分自身を動機づけ、目標達成に向けた行動を促進する能力。動機づけ制御を通じて、個人は自分自身を推進し、達成すべき目標に向けてエネルギーを集中することができる。
・環境制御
(計画を他人に伝えるなどし意図を守る)
個人が自分の環境を整理し、目標達成に有利な状況を作り出す能力。環境制御により、個人は自分の周囲の環境を最適化し、目標達成を助ける資源を利用することができる。
・情報処理の倹約
(情報量の確認とやめ時を知る)
個人が情報を効率的に処理し、必要な情報を迅速に取得する能力。情報処理の倹約を通じて、個人は時間とエネルギーを節約し、より重要な任務に焦点を絞ることができる。
「学習者が学習する」という意思決定で、
「ARCS」が強制的、決まり事、MECEな部分が多いのに比べて、
「活動制御理論」では、なんとなく選択制や、「さり気なく意識的」な部分が多いように思うのです。
とはいえ、自分自身の意思や意図を変えることさえ難しいのに、他人の心理を「制御」するということは容易なことではありません。
最初のところで「自分事」と記したのは、娘と息子の「学習」についてです。
少し大げさに記していますが、大筋は以下の通りです。
・娘の場合は、多くの塾に通いましたが、当時はまだ対面集団の「ご講演座学」が主流であり成績は伸びませんでした(当然ですね)が、たまたま最後に「ご講演座学」はやらず、「テストだけをやる」塾に出会い、飛躍的に成績を伸ばしました。
これは、自己調整というより、目標達成のための方略と、環境が「学習成果」に結びついたのだと思います。
一方、息子の場合は、かなり違いました。
・息子は、小学生の頃は、塾には通っていましたが、ほとんど家で勉強はすることもなく、成績もふるいませんでした。親の影響(?)か、肩まで髪を伸ばし、先生様からはそれとなくいつも注意されていました。
中学に入っても同じように先生様から何かにつけて髪のことを注意され、
「どうしたら注意されなくなる?」と訊かれたので、
「学年でトップの成績になったら何も言われないだろ・・・」
と適当な、、、それでも歴然とした”現実”をアドバイスしました。
すると息子は、自分でネットの塾を探してきて、帰宅してからは部屋に籠って勉強するようになり、、、、結局、中学1年生の中期には「学年トップ」の成績をとるようになり、髪のことを先生様から指摘されなくなりました・・・
それからは、もう何のアドバイスもしていませんが、本人曰く、
「中学2年はそれほど勉強しない」宣言があり、、、
それでも、少しは勉強していたため、トップ20くらいにはいました。
中学3年になると、ネットの塾もやめ、自分で勉強するようになり、やはり学年トップの成績をとり、、、、進路も自分で決め、、、という感じです。
これは「自分事」なので単なるKKDだとは思いますが、インストラクショナルデザインの必要性や、心理学の面白さを再認識するには十分なフローであったと思います。
強制や固定化されたフレームに入れて「学習」させることには、やはり限界があります。
ましてや、個人個人すべて違います。
それを認識した上で、
用意周到なデザインと、さり気なさ、柔軟な思考が「教育・学習」には最も重要なことだと、あらためて思います。
① Where am I going ?
(どこへ行くのか?)
② How do I know when I get there ?
(たどりついたかどうかをどうやって知るのか?)
③ How do I get there ?
(どうやってそこへ行くのか?)
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(壇上の賢者から側面の支援者へ)