louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「”義務教育”に感じる不自然さ」について

今回は、「”義務教育”に感じる不自然さ」 について考えてみます。

 


(義務教育制度)

 

一定の年齢層の児童・生徒に対し、国や地方公共団体が一定の期間、教育を受けることを法律で義務付けた制度のことを指す。

全ての人が基本的な知識や技能、社会性を身につける機会を保障し、社会的な平等を実現するためのもの。

日本の義務教育制度は、小学校6年と中学校3年の合わせて9年間が義務教育の対象。

国語、算数(数学)、理科、社会科、音楽、美術、体育、技術・家庭科、道徳などの教科を学ぶ。

学校教育法に基づき、学習指導要領に従って行われる。学習指導要領は、教育の目標や学習内容、評価方法などを定めたもので、全国の学校で統一的な教育が行われる。

義務教育

「教育・学習」について学ぶまでは、「義務教育」というモノについては全く意識したこともなく、”当たり前” のモノだと考えていました。


「学校制度」小学校ー中学校ー高校(高専)-大学 という構造があり、大学に行くかどうかは家庭や本人の事情や都合ですが、今の時代、ほとんどの人が「義務教育」を経て、高校までは行きますね?

 

いずれは社会に出て一人で生きていくわけですから、「義務教育」は絶対的に必要、、、ということだとは思います。

 

「義務教育」メリットデメリットは、

 

(メリット)


・平等な教育機会

全ての子供が一定の教育を受ける機会が保障される。これにより、社会的な格差を軽減し、教育の平等性を確保する。


・基礎的な知識と技能の習得

学びの基盤となる基礎的な知識や技能を習得できる。読み書きや計算など、生活に必要な基本的なスキルを身につけることができる。


・社会性の形成

学校という共同体の中で学ぶことで、他者との関わり方や協調性、ルールを守ることの大切さなど、社会生活を営むための基本的なマナーを身につけることができる。


・学びの楽しさや重要性の理解

学ぶことの大切さや楽しさを経験し、自己成長のための意欲を形成することができる。


(デメリット)


・個々のニーズに対する対応の難しさ

学力や興味、学び方など、子供一人ひとりのニーズに合わせた教育を行うことが難しい場合がある。


・学習意欲の減退

共通のカリキュラムを強制することで、子供の自由な探求心や学習意欲を阻害する可能性がある。


・プレッシャーとストレス

成績や進学に対するプレッシャー、学校生活に伴うストレスなど、心理的な負担を生じさせる可能性がある。


・教育の一様化

全ての子供に対して同じ教育を施すことで、多様性や個性を尊重する教育の観点からは問題があるとされることもある。


いじめや身体的精神的な障害によって不登校になってしまう場合や、日本では少数派ですがホームスクールを選択する場合もありますが、その場合でも入学申請すれば授業を受けなくても「義務教育」の名のもとに中学までは卒業できます(たぶん)。

この仕組み自体に問題はないように思いますし、高校は行かなくても卒業認定試験に受かれば大学受験もできます。


確かに「平等」だとは思います。


今回のテーマである、”不自然さ” とは何かというと、「中学校」の位置付けです。

 

極論を言ってしまうと、


”中学は「義務教育」でなくてもいい!”


と思うのです。


勿論、反対する意見が大多数かもしれませんね?

その理由として考えられるのは、


・知識・技能不足

小学校だけの教育では、社会生活を営む上で必要な基本的な知識や技能が不足してしまう可能性がある。現代社会は情報化が進んでおり、高度な知識や技能が求められている。


・学力格差の拡大

家庭の経済的な状況や親の教育熱心さによって、子供たちの学習環境や学力に大きな差が生じる可能性がある。社会的な不平等を生む要因となり得る。


といったところでしょうか?


小学校で学習する内容を学んだだけで、ほんとに社会に出ていけないでしょうか?

というのも、勿論、「極論」です。


「極論」ですが、実は小学校で学ぶべき内容を100%理解できている人がどれだけいるでしょうか?

と思うのです。


不完全な知識でも中学には行ける。「義務教育」だから、、、、

 

それが ”不自然”  だと思うわけです。


”「義務教育」だから学んでいなくても卒業させる”、、みたいな考えがあるというのは、やはり違うのではないでしょうか?


「学習」には「前提知識」が必要です。その ”基本的な前提知識” をつける場所、時間小学校だと思います。

 

現在の、小中学校が「義務教育」で、何も学ばなくても卒業できるというシステムに大きな欠陥があるように感じます。

 

高校受験をする直前に気づいても確実に遅いわけです。


「義務教育」だからこそ、小学校での学習内容は全員に完璧な習得をさせるべきであり、そうすれば中学、高校、大学に行くという選択も、スポーツやアートの世界に行くという選択も、また方向を変えるということも時間的な余裕ができると思うのです。


小学校は「義務教育」だから、学習内容を習得するまで卒業できない中学は卒業認定試験に合格すれば、高校受験が可能となる、、、

 

まぁ、戯言といわればそうかもしれませんが、社会に出て「リスキリング」というのも大切でしょうが、そのずっと前に対策をする必要があるのではないか? と考えてしまいます。

 

もしそういう制度ができたとしたら、この国からもオードリー・タンさんみたいな人が出てきて国を変えてくれるかもしれないですね、、?