louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

” 自分の思考と他人の思考は違う ” というあたりまえのこと

今回は、「 ” 自分の思考と他人の思考は違う ” というあたりまえのこと 」 というテーマで少しだけ考えてみます。

 

「 ” 自分の思考と他人の思考は違う ” というあたりまえのこと 」



至極あたりまえのことなのですが、時に人はこの事実(?)を忘れてしまいます。


特に、おかれている立場による思考というのは、様々な状況、環境、プレッシャーや優越感、バイアスなどによって影響を受けますし、100人いれば100人の思考は違うものだと思うのです。


しかし、一般的にはその立場などの ” グルーピング ” をして、思考を簡易化、平均化(?)、ステレオタイプ化してしまいます。


教育ということであれば、「教える側の人」「学習者」の思考という具合です。


「学習者の思考」は昔から「教育」の理論や方略に大きな影響を持ってきました。


人それぞれの思考はもとから違いますから、学習者といってもそれぞれ違っているため、「インストラクショナルデザイン」「PSI」「個別最適化」などということが考えられたわけです。


そのことは全くの正論であり、間違っていません。


・「コピー」から「翻訳(再構築)」への転回


従来の教育は、教師の頭の中にある「正しい知識」を、生徒の頭にそのままコピー&ペーストするようなモデルだったが、思考プロセスが人によって異なる以上、それは不可能。

>学びは常に「再構築」

生徒は、自分がすでに持っている知識や過去の経験(スキーマ)というフィルターを通してしか、新しい情報を受け取れず、教師が「A」と伝えても、生徒の頭の中では「A'(ダッシュ)」として再翻訳される。

>教育への影響

教師の役割は「一方的に話す人」から、生徒が自分なりに意味を組み立てるのを助ける「ファシリテーター(伴走者)」へと変化する。


・「協働学習(コラボレーション)」の価値


クラスメイト同士の思考が違うからこそ、学校という「他者が集まる場」の価値が生まれる。

>葛藤(コンフリクト)による成長

自分と違う意見や、論理の組み立て方をする他者と出会うことで、初めて「自分の当たり前(バイアス)」に気づくことができ、メタ認知が向上する。

>教育への影響

単に仲良く作業するグループワークではなく、「なぜそう考えるのか?」のプロセスを開示し合い、お互いの違いをリソースとして新しいアイデアを生み出す「対話型」の授業が重要。


・「一斉授業・単一評価」の限界と個別最適化


全員の思考や認知の特性(目で見た方が理解しやすい、耳で聴いた方が入る、動かしながら考えるなど)が異なるため、従来の「一斉授業・ペーパーテスト一発勝負」は必然的にミスマッチを生む。


・「心の理論」とソーシャル・エモーショナル・ラーニング(SEL)


他者の思考が自分と違うと認識することは、単なる学習効率の話にとどまらず、「共感力」や「社会性」の土台となる。

・他者視点取得(Perspective-taking)

「相手は自分とは違う前提や感情を持って行動している」と理解する力を、発達心理学では「心の理論」と呼び、これが育たないと、自分と違う意見を持つ人を「間違っている人」「敵」とみなしてしまう。

>教育への影響

感情のコントロールや他者との関係性を築くスキルを学ぶ「SEL(社会的・感情的学習)」の導入が進んでいる。


といったようなことだけでなく、様々な「学習者の思考と教育・学習」についての理論やモデルなどがあり、どれも完璧ではありませんが、それぞれの効果・効率があるように思います。


ただ、こういったことは、あくまで「学習者」という範疇・グループの人々の思考がそれぞれ違うということにおいて考えられたものです。


「教える側の人」のグループの思考については、何度も記している


”壇上の賢人から寄り添う案内人へ(From Sage on the Stage to Guide on the Side)”


という共通概念があるくらいで、あとは「教育」を行うシステマティックな方略やモデルが大部分を占めるように思います。


「学習者」というグループと同じで「教える側の人」というグループについてもそれぞれの人の思考は違う、、、、という観点で「教える側の人」を対象にした考えというのは非常に少ないように思います。


以前熊大がやっていた「教え方を教える」ことも、あくまで「教育」の手法や方略であり、「教える側の人」の思考は考慮しているようには思えませんでした。


しかし、実際には「教える側の人」の思考がそれぞれ違うために、「教え方」「教育デザイン・理論」はその成果(学習者の学習)に大きく影響するのではないでしょうか?


「学習者」には個別最適化、、、といいながら、「教える側の人」に対する個別最適化という考えはあまりないですね、、、、


「教える側の人」の評価は「学習者」の評価ですから、ほとんど考慮されないのでしょうが、実際には「教える側の人」それぞれの思考に対応した考えがあってもいいように思ったりするのです。


と考えると、近い将来のスタンダードになるであろう画一化された「AI先生」というグループの思考(?)にたどり着き、、、、、「学習」の成果は頭打ちになるような未来が見えてきたりします。