louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「学びたいこと」を「学べる」世界に ~ ジェンダー縛りと教育 ~

最近になって、大学入試における ” 理工系学部「女子枠」” という意味不明の制度が注目を集めています。

 

ということで、今回は  ” 理工系学部「女子枠」(ジェンダー縛りと教育)”  について考えてみます。


京都大学は、2026年度(令和8年度)入学者選抜から、理学部と工学部の特色入試において、女性募集枠を新設する」

 

というトピックが上がり、多くの人が賛否両論の説を発信しています。


これまでもいくつかの大学が ” 理工系学部「女子枠」” というのを設定していましたが、流石に京大まで、、ということで話題になっているのだと思います。

 

今回の話題のほかにも、東大が授業料を上げるとか、藝大がピアノを売るだとか、、、国力の低下を端的に感じさせられる事案が次から次へと、、、

理工系学部「女子枠」

” 理工系学部「女子枠」”  という ジェンダーに特化した教育方針については、恐らく間違っていると考えます。


端的に言うと、


ダイバーシティを勘違いしている


と思うのです。


日本において、ダイバーシティインクルージョンというと常に ジェンダーだけのように考えられています。


ダイバーシティジェンダー


でしょうか?

ジェンダーって、生物的には2種類しかないですよね?

血液型よりも少ない選択肢のどこに多様性があるのでしょう?


まぁ、それはそれとして、


入学枠を設定する際に、これまでは現実的な ” 数 ” で決めていました。それはそうです、受け入れることのできる ” 数 ” を限定することは仕方がありません。そのために受験というものがあります。


それが、現在の学校制度、受験構造です(勿論、現状がいいというわけではないです)。


しかし、入学枠に、「数」に加えて「女子枠」という縛りを入れる方策は、


企業における「女性管理職」「女性役員」の割合増加を、、、


という考えと同じですね?


” 能力や努力 ” という ” 多様性 ” を見ずして、ジェンダー割合 ” を均等にというのは、、、あまりに知性が低い方策だと思います。


”能力” のある人を、管理職や役員にすればいいだけのことです。その結果、女性役員9割、男性役員1割になってもいいと思うのです(勿論、ちゃんとした評価があってのことですが、、、)。


世の中、全くダイバーシティの逆を行ってる感じです。


また、以前、これとは逆に私立大の医学部で、” 女性受験者の点数をマイナスして合格させない ” という、とんでもない不正がありました。

その理由が、女性は医者になっても出産、育児等の理由で、附属の大学病院に就職しなかったり、すぐに辞めてしまうから、、、ということで、” 昭和の中小企業 ” のような大学があることに驚き、憤りを感じました。


” 理工系学部「女子枠」” というのは、

 

” 受験生” という状況においては1つの選択肢となりえる

でしょうが、

” 学習者 ”

としてはどうでしょう?


勿論、” 受験生という学習者 ” なわけで、

 

「受験」と「学習」のどちらを優先するか?

 

というのは、誰もが悩むところだと思います。ネームバリューがあり、就職にもプラスになるだろう有名大学なら、「受験」を優先させることを後押しするように思えるのです。

 

元来、大学というのは「学びたいこと」を専門的に「学ぶ」ところです。

 

しかし、現状では、” 就職のための手段 ” になっていることは否めませんし、、その流れを ” 理工系学部「女子枠」” は更に加速させる方策だと思うのです。

 

誰もが「学びたいこと」を「学べる」世界になればいい

と思っています。

 

家計が苦しくても、障害を持っていても、何歳であっても、「学びたいこと」を自由に「学べる」環境がもし実現できたとしたら、どれほどいいことでしょうね?

 

理想としては、国公立大学くらいは、無償で、ジェンダーや障害、年齢の区別なく、受験などしなくても入学できて「学びたいこと」を「学べる」環境とするべきなのだと思います。

 

そうすれば、現在のように旧帝大だとか、地方大だからとかいうヒエラルキーも無くなり、大学は独自の専門分野を設定することができます。

 

「教育改革」というのは、そういうモノだと思っています。” 理工系学部「女子枠」” などという ジェンダー縛り ” は、何の改革でもないと、、、、