今回は、「簡単だからといって記憶に残らないわけではない」 というテーマで考えてみます。

教育や心理学、脳科学の分野で、
”「簡単」な学習では「記憶」に残らない ”
”「困難」な学習を経験すれば「記憶」に残る ”
といった、ほとんど ” 神話 ” のようなことが信じられているという事実があります。
その根拠としては、
・認知負荷が低すぎる
人間の脳は、ある程度の負荷がかかることで情報を「重要」と判断し、記憶に残そうとする。
簡単すぎる学習は、脳にとって「処理する価値が低い」とみなされ、短期記憶にとどまりやすい。
深い処理が行われない
・感情や体験が伴わない
感情や驚き、達成感などがあると、記憶は強化される。
簡単すぎる学習は、感情的なインパクトが少なく、記憶に残りにくい傾向があある。
などということです。
そして、「記憶」に残すには、
・適度な難易度を設定する(ゾーン・オブ・プロキシマル・ディベロップメント)
少し努力すれば達成できるレベルが最も効果的であり、アクティブ・ラーニングも取り入れる。
問題解決、ディスカッション、実践など、能動的な学習は記憶に残りやすい。
・感情やストーリー、文脈を活用する
物語や実体験に結びつけることで、記憶の定着が促進される。
などと言われます。
ある程度は容認できるのですが、果たしてすべてがそうかというと、そうでもないように思うのです。
「簡単」「困難」の捉え方やレベルは人によって違うので、相対的な話になりますが、
学習において「困難」の方が ” 優遇(?)” されるのは、 ” 努力することが王道であり、正義である ”
といったモノの根っこには、 ” 根性論的な思考 ” があるように思うのです(多くの人がスポ根に感情移入するのと同じかもしれません)。
「苦労して学んだことは忘れない、、、」
は、本当でしょうか?
一概にそうは言えないのではないか? と、ずっと考えているのです。
確かに、認知負荷やコンテキストは重要ですし、適度な難易度、、ということも「考える」ことにはある程度効果があるとは思います。
しかし、「学習」とペア(支援する)である「教育」では、インストラクショナルデザインにおいて、
「いかに容易に学習者に学習をさせられるか」
そして、
「その効果と効率(魅力は外しておきます)を上がられるか?」
ということなので、「似非スーパーマン教師」「似非カリスマ講師」などという存在をなくし、システマティックな方略を取れば誰もがベターな教育を実践できるということです。
そして、その方略やデザイン、モデルは、学習を「困難」にすることではなく、ストレス、モチベーション、認知負荷等を考え、いかに「簡単」に「シンプルなデザイン」で学習させるか、ということが本筋だと思います(そうはいっても、ファインマン効果のように「わかったつもり」で終わらせる教育は意味がありませんが、、、)。
「教育」が「easy、simple」を求めるのに、「学習」が「difficulty、complicated」でないと、、、
というのは何か矛盾があるように感じるのです。
「簡単」な学習を積み重ねていく方略と、「困難」な学習の成果にそれほど差が出るとは思えません。
苦労して学んだことも忘れることはあるし、簡単に学んだことでもずっと記憶に残っていることもある、、、
はずですね?
まぁ、いつもながら確実な答えのあることではないのですが・・・