今回は、 ” 「大学年内入試」面接必須(文科省通知) ~ 何のために? ~ ” というテーマで考えてみます。

またも、、というか、どこまで意味不明なコトを進めていくのか? といったニュースが報じられ、もう呆れるとか、怒りを覚えるというより、完全に ” 諦めのフェーズ ” に入っています。
(大学「年内入試」、今年度は面接必須 文科省通知)
”今年度に実施される大学入試で、総合型や学校推薦型選抜では、面接が必須となった。昨年度に総合型などで学力試験を行っていた大学については、2年間の猶予期間を設ける。”
”文部科学省がこうした内容を各教育長らに通知した。総合型や学校推薦型選抜は、大半が年内に行われ「年内入試」とも呼ばれるが、一部大学で学力試験の比重が高く、実質「一般試験の早期化」になっていると問題視されていた。”
”年内入試をめぐっては、2024年に東洋大(東京都)など首都圏の一部私大が、実質的に学力試験のみで合否を決める学校推薦型選抜を年内に実施。文科省が「ルール違反」と指導する事態になった。これを受け、25年度実施の入試では、年内入試でも調査書や面接、小論文などと組み合わせることを条件に、学力試験の実施も可能となった。”
”だが、条件を盛り込んでも、年内入試で学力中心の傾向は一部の私大で変わらなかった。例えば、東洋大は220点満点のうち「国語か数学」と英語の2教科で計200点、調査書と小論文が各10点という配点だった。”
”こうしたことから、今年度実施の入試では「一般選抜とは異なる観点や方法により時間をかけて丁寧に選抜を行う」とした総合型や学校推薦型選抜の趣旨を徹底するため、面接を必須にした。ただ、付属学校の内部進学や専願の指定校推薦では、面接の有無を大学が判断できる。面接は、ディベートやプレゼンテーションなどを含み、オンラインでの実施も可能だ。”
ということです。
大学入試において、「総合型」や「学校推薦型選抜」という形式を導入し、一発勝負の入試から脱却するという考えは、 ” 正常に行われれば ” 特に問題はないのかもしれません(勿論、平等性を確保することが前提ですが)。
” 正常に行われれば ” というのは、高校で真正に学び、その成果をもって入学するという制度、ということです。
現状、そのような真正性が保たれているとはとても思えませんが、本来は、高校でまじめに学んで、その成績に連動したカタチでそれに見合ったレベルの大学に入学できるということが理想です(大学にレベルを付ける必要は絶対的にありませんが、その後の就職等の今の構造が変わらない以上は仕方がありません)。
「総合型」や「学校推薦型選抜」というのではなく、すべての進学したい生徒が自分の成績に基づくことが基本だと思うのです。
そこで、今回のまたまた意味不明の文科省通知です。
「入試」という制度はどこまで行っても ” 選別の試験 ” ですから、「学力による選別」が最も明確であり、平等です。
「総合型」や「学校推薦型選抜」という制度も、「学力による選別」であるべきだと思います。
今回の通知は、お国が「そうではない!」ということを言っているわけですね?
現状のように、学力テスト、調査書、小論文による選別にも一発勝負的な問題があることは確かです。
しかし、そこに ” 面接 ” を必須にするということに何の意味があるのか? と思います。
基本的に ” コミュニケーション重視 ” だとか、、” フレキシブルな対応能力 ”、果てには ” 人柄 ” などというその場限りのフェイクものは、企業への就職については多少仕方がない部分もあります(まぁ、企業はお金を出す側ですから好きにすればいいということです)が、
これから「お金を出してでも学びたい」という生徒の選別には完全に間違っていると思います。
たった数十分だけ ” 仮面を被り ” 、ビジネスマナー講師が教えるようなことだけを答え、笑顔を作る(でも歯は見せない、、とか)、背筋を延ばす、手は膝の上で固定、、、、とかで、何を測ることができるのでしょうか?
大学は、お金を払って学ぶために行く場であるということを、マナーや企業への就職と同じだとお国は考えているのでしょう。
その時、その瞬間だけ、表面を繕えばそれでいい、、、
そういう時代になってしまっていることは仕方がありませんが、アカデミアもそうなっていいとは思えません。
今のメディアは間違っていたり、曖昧であっても基本的にソースを垂れ流すだけですから、今回の文科省通知についても、
(メリット)
・一般選抜とは異なる観点や方法により時間をかけて丁寧に選抜を行う
(デメリット)
・経費がかかる(大学側の人件費等)
くらいしか報道しません。
「面接」でいったい何がわかるのか?
「面接」が選別試験にほんとうに有効なのか?
という突き詰めた内容をうけての通知でないことは明らかですね?
そんなことは誰も証明できないし、どこかの教育専門家(?)が思い付きで言い出したことに他ならないからです。
ロジカルとかエビデンスとか、クリティカル、、、なんて言ってた時代は遠い過去のことになってしまったのでしょうね、、、、
アカデミア界隈も相当追い詰められているとは思いますが、まだ ” 正否の判断 ” ができる人は若干残っている、、、と思いたいものです。