「教育の理想」や、「理想的な教育」を語る人は何億人といます(もちろん、私もその一人)。
政治的な発言や著書で有名なノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky)もよく「理想的な教育」を口にします。
元々(?)が「言語学」の人なので、「普遍文法(Universal Grammar)」から発展させた論理を「教育」につなげたといえるでしょうね?
(普遍文法(Universal Grammar))
言語学の生成文法における中心的な概念で、全ての人間が(特に障害がない限り)生まれながらに普遍的な言語機能 (faculty of Language) を備えており、全ての言語が普遍的な文法で説明できるとする理論。
「ヒト言語の知識は、経験によって後天的に学習されるよりも、むしろ経験に先立ってヒトの脳に生得的に与えられている部分が少なくない」という仮説。
みたいな感じです。
内容は難しい話(?)なので、今日はそういうことではなく、「教育」、特に「学校教育」についてのチョムスキーの意見について考えていきます。
チョムスキーの語る、「理想的な教育」とは、
・子供たちが持っている創造性と創作力を伸ばし、自由社会で機能する市民となり、仕事や人生においても創造的で創作的であり、独立した存在となるように手助けすること。
で、
・こういった「教育」だけが、進んだ世界、進んだ経済を生み出すことができる。
と繋げます。
そして、
・何をカバーするかは問題ではない、重要なのは何をディスカバーするかだ!
・垂れ流しの情報は、情報がないのと同じ(何を探すべきかを知っている必要がある)。
・早期教育は、海兵隊員や労働者になるための訓練としては良い。
・教育が個々の学生の能力を最大限に引き出し、彼らが自己決定と批判的思考を行う能力を育むべきだ。
・学校の「自己家畜化」機能
まぁ、さすがに少し過激ですね?
とはいえ、「教育・学習」というものを真面目に(?)学んだ人には、「そりゃそうだ!」と同意してもらえるのではないでしょうか?
チョムスキーがこういった発想に至るには、やはり彼が通った「実験的学校」の影響が大きいのでしょうね。
”探究と創造を教育の柱”にする、ジョン・デューイの教育哲学に則った学校ですね!
なるほど、、、と、思います。
極論を言うと、チョムスキーの提唱する「理想的な教育」とは、
ジョン・デューイの「理想的な教育」を超過激にしたもの。
と言えるのではないでしょうか?
チョムスキーのような考え(教育に限って)を持った人が少ないとは思いませんが、前に記した、全くの分野外の経営学者ラッセル・エイコフ(「逆転の教育: 理想の学びをデザインする」)よりはインパクトがありますね。
どちらかというと内田樹さんに近いですかね?
とはいえ、
「理想」は「理想」
「現実」は「現実」
として歴然と存在しているわけです。
ここでいつもの思考で、
「ギャップを埋める」
という発想に陥ると、論理は完全に破綻してしまいます。
なぜなら、これはもう「ギャップ」というようなレベルの話ではないからです。
学校制度、受験体制、社会構造、、、すべて0から作り直さない限り、「理想」は永遠に「理想」のままです。
チョムスキーや内田樹さんのような至極優秀な頭脳をもった人たちが何をどう言っても、それは絶対に変わりません。
「理想的な教育」を思考することは、、、大事だし、自由ですが、、