louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

教師がサイキックになるわけ ~ 透明性の錯覚:illusion of transparency ~

今回は、「教師がサイキックになるわけ」 というテーマで考えてみます。


「透明性の錯覚:illusion of transparency」という心理学の研究テーマがあります。

透明性の錯覚:illusion of transparency

(透明性の錯覚:illusion of transparency)


・自分の内面が他者から見透かされていると思い込む傾向。

・自分の考えていることや感じていることが、実際以上に他者に伝わっていると考える傾向。

・他者からは見えないはずの自分の内的経験が、他者に見抜かれている程度を過大評価すること。

・心理学における概念で、自分の内面状態(思考、感情、意図など)が他人に対して透明であると過度に思い込む傾向。

・自分が何を考えているか、何を感じているかを他人も理解していると思い込むこと。


ということです。


日常において、人間誰しもが、「透明性の錯覚」に陥ることはあります。


「自分の意見に共感してくれている!」

とか、

「多分、この嘘は見抜かれているな・・・」


などという感覚を持つことがありますよね?


(透明性の錯覚が引き起こすメリットとデメリット)


(メリット)


・コミュニケーションの効率化

自分の感情や意図が他人に理解されていると思い込むことで、都度説明する手間を省き、コミュニケーションがスムーズに進む場合がある。


・自己開示の促進

 自分の感情や思考が他人に理解されるという期待は、自己開示を促進し、親密な人間関係を築く一助となる場合がある。


(デメリット)


・誤解の発生

自分の感情や意図が他人に十分に伝わっていないにも関わらず、それが理解されていると思い込むと、誤解やコミュニケーションの障害を生む可能性がある。


心理的な距離感の誤認

自分の内面状態が他人に透明であると考えることで、他人との心理的な距離感を誤認し、人間関係に問題を生じる可能性がある。


・他者の意見や感情を過小評価

自分の思考や感情が他人に理解されていると思い込むと、他人の異なる視点や感情を見落とし、過小評価する可能性がある。


「透明性の錯覚」はおかれた環境や状況によって、吉と出たり凶となったりします。


会社での上司や同僚といった関係性においては、ある程度ポジティブに捉えられてモチベーションになることもあるでしょうし、結果が伴わなかった時には想定以上にダメージを被うこともありますね?


そこで、今回のテーマである、「教師がサイキックになるわけ」です。

 

これまで何度も記していますが、教師や教育担当者は、明確な数値やデータではなく、


「顔を見れば理解しているかどうかわかる」

とか、

「全くやる気がないなぁ~」


などという、いい加減な感覚で判断する ” サイキック ” になりがちです。

このことは、「透明性の錯覚」の、

・自分の内面が他者から見透かされていると思い込む傾向。

ではなく、

・自分の考えていることや感じていることが、実際以上に他者に伝わっていると考える傾向。

に起因すると考えています。


こういった ” サイキック ” になる教師や教育担当者は、インストラクションの内容を熟知し、何年も何十年も「教育」を行っているベテランだけがなるとは限りません。やたらとアイデンティティ ” 自己肯定感・自己効力感 ” を意識する人の多くが  ” サイキック ” になりがちです。


これは個人の資質と言えばそれまでなのですが、人間は、「透明性の錯覚」同様に当然、” 陰陽 ” があるわけです。


・弱い自分

・超人である自分


の陣取り合戦は、人間の内部で常時行われます。

そして、このことを自分で意識しないかぎり、永遠にいい加減な状況での「透明性の錯覚」に振り回されることになってしまします。


” 自分が自分に振り回される ” ことには大した意味はありませんが、それが「教育」「評価」となってしまうことには大きな問題があります。


AI DX といったトレンドが取りざたされるようになって、世の中はやたら「人間の感覚や感情」「共感性」といった目に見えないモノに頼る傾向がありますが、少なくとも「教育・学習」においては、明確な数値やデータを主として考えるべきだと思います。


” いい先生 ” というのは、自信過剰の ” サイキック擬き ”

 

であることが多いです。