今回は、「アカデミアは変わるべき?」 というテーマで考えてみます。
まだ読み始めたばかりなのですが、
「在野と独学の近代 / ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」
に面白い内容があったので、アカデミアについて再び考察してみます。
面白いというのは、「イギリスの大学」の変容です。
イギリスの大学というと、「オックスフォード」「ケンブリッジ」と誰もが知っていますよね?
世界でもトップクラスに有名な大学、いわゆる ” アカデミア ” の代表のような学校です。
その「オックスフォード」「ケンブリッジ」は国立の大学ではなく、19世紀~20世紀初(?)までは ” 専門分野 ” を学べるところでもなく、
” ジェントルマン養成のための学校 ”
であり、今でいう ” リベラルアーツ系 ”の大学であったということです(敢えて言うなら ” マナースクール ” かもしれません)。
他国の大学は、当時から専門性を持った現在のような形態であったようですが、イギリスは ” 紳士 ” のために、少し事情が違っていました。
そのため、医者や法律家などになろうとする人たちは、「オックスフォード」「ケンブリッジ」を出たあと、もしくは直接「専門大学」に入って学んでいたとのことです。
このあたりは、アメリカで医者になる場合に、4年制の大学を出てから、メディカルスクールに4年、、というのと似ているのかもしれませんね?
「オックスフォード」「ケンブリッジ」はそういう場であり、当時の教授陣も決して専門分野のプロではなく、非常に適当であったとのことです。
そのため、当時のイギリスでは大学教授の地位は低く、給料もとても低かったとのことです。
” 専門性がない教授 ” など何のためにいたんでしょうね?
それはそうと、ハイスクール(?)の後、「教養」をつけてから、「専門性」を学ぶという ” 順番 ” は正常ですが、問題となるのは、その学ぶ ” 期間 ” です。
以前、「「リベラルアーツ」と「専門性」について」でも記しましたが、現在の日本の大学の場合は、
・教養2年
・専門2年
というのが一般的です(医歯薬は専門4年)。
しかし、当時のイギリス、もしくは今のアメリカのメディカルスクールでは、
・教養4年
・専門4年
と ” 倍 ” の違いがあるわけです。
勿論、専門性学びたい場合には、修士・博士課程へ進みますから別の話ですが、この2年、もしくは4年の ”差 ” というのは、かなり大きいように思うのです。
当然、” 学ぶ期間 ” が、
長い方がいい!
に決まっています(学ばないという選択肢はないものとします。そのような人にとっては2年も4年もかわりはありません)。
学ぶ期間というのは、どういった人にとっても平等に「知識・スキル」の差ができてしまいます。
その後、社会に出た時点で、いきなり差がついているわけです。
” 若い頃の数年など、あとから取り戻せる! ”
というのも事実ではあります。
しかし、スタートラインで差がないにこしたことはありませんし、長く学んでいる人の方が、日本の企業経営者が言う「即戦力」になる可能性は高いでしょう。
日本では、一度大学を卒業して働き出してから、再度アカデミアに行くということは、文化、慣習、経済状況により、ほとんどありません。
この右肩下がりの国の状況を打破するためには、
・教養4年
・専門4年
などというのもアリだとは思うのですが、
「人生100年時代」
と言ったその口から
「若い即戦力を!」「大学でも企業の業務を学ばせろ!」
となるのですから、、、、そんな発想は出てこないでしょうね?
因みに、「ミネルバ大学」はとても優れた ” リベラルアーツ ” の大学だと思いますが、通常の大学で、
・教養2年
・専門2年
を修めたあとに、さらに
・教養4年
というような感じで、
・教養6年
・専門2年
となって、少しバランスが良くないようには思います。
しかし、「ミネルバ大学」に行くような人は修士、博士を取ってからということも多いようなので、それならいいですね、、、
とにかく、特に日本において、
” アカデミア ” は現体制や構造を変える時期に来ている
ように思います。