今回は、” オッカムの剃刀(Occam's Razor)的教育・学習方略 ~ シンプル至上主義への提言 ~ ” というテーマで少し考えてみます。

少しだけ哲学などに興味のある(私のような)半端な人間がたまに「オッカムの剃刀」の話をしたりします。
(オッカムの剃刀:Occam's Razor)
・中世、オッカム村のウィリアムによって提唱されたとされる原理。
・複数の仮説や説明が存在する場合、最も簡単なもの、無駄な要素を含まないものが最も正しい可能性が高いとする考え方。
・必要以上に多くを仮定すべきでない
・科学や論理、哲学の分野で頻繁に引用され、簡潔で合理的な説明や理論が優先されるべきであるという指針。
・単純なモデルにするべきという考え方。
(オッカムの剃刀と教育)
・教育理論と実践の単純化
教育理論や教育方法が複雑すぎると、実際の教育現場での適用が難しくなる。オッカムの剃刀の原理を適用することで、教育理論や方法をシンプルかつ効果的にすることができる。必要な要素だけを取り入れ、余計な部分を削ぎ落とすことで、教師や生徒が理解しやすく実践しやすいプログラムを作成することができる。
・教育評価の効率化
生徒の学習成果を評価する際に、多くの複雑な評価基準を用いると混乱を招き、評価が困難になることがある。評価基準を簡潔にし、最も重要な要素に焦点を当てることで、効率的かつ公正な評価が可能となる。
・教育技術の選択と使用
教育技術(EdTech)の導入に際しても、教育技術が多岐にわたると、選択や使用が困難になる場合がある。シンプルで効果的な技術に焦点を当てることで、教育現場での導入がスムーズに進み、教育効果も高まる。
・学習教材の設計
教材の設計においても、学習者にとってわかりやすく、学びやすい教材を作成することができる。過剰な情報や複雑な内容を排除し、必要な情報のみを提供することで、学習の効率と理解度が向上する。
・過度な単純化のリスク
教育内容を過度に単純化しすぎると、重要な細部や複雑な概念が省略される可能性があり、生徒の深い理解や批判的思考の育成が妨げられる。
・多様な学習スタイルへの対応不足
個々の学習スタイルやニーズに対応するためには、多様な方法が必要。画一的な方法が特定の生徒には効果的でない。
・創造性の制約
教育における複雑性が創造的な思考や問題解決能力の育成に寄与する場合がある。教師や生徒の創造性や自由な発想が抑制されるリスク。
・深い学びの不足
単純な説明や理論では、深い学びや応用力の育成が不十分になる。生徒が表面的な理解にとどまり、深い探究や批判的な検討が不足する可能性。
(オッカムの剃刀と学習)
・過度な単純化
学習内容を過度に単純化しすぎると、重要な情報や深い理解が欠落する可能性がある。複雑な概念や多面的な視点が必要な場合も多く、これらが省略されると、理解が浅くなり、長期的には学力の低下につながる。
・批判的思考の欠如
単純な説明に頼りすぎると、自ら考え、批判的に検討する機会が減少する可能性がある。複雑な問題に対して単純な解決策を求める習慣がつくと、問題解決能力や創造的思考力が十分に育成されないリスク。
・モチベーションの低下
学習内容が単純すぎると、学習の興味や関心を引きにくくなる。適度な挑戦や興味深い内容が必要であり、単純化しすぎるとこれが失われる可能性がある。
・応用力の欠如
単純な方法や理論に依存すると、学んだ知識を新しい状況や問題に応用する能力が育たないことがある。複雑な状況に対しても適応できる柔軟な思考力が重要であり、の問題解決に支障をきたす。
といったことです。
「シンプルであるにこしたことはない!」
多くの場合、それは ” 正論 ” だと思います。
しかし、「教育」と「学習」分野に分けて考えてみると、” オッカムの剃刀的な考え ” は、
「教育」においては、” 効果があるかもしれない ”
「学習」においては、” 弊害の方が多い ”
という風に考えます。
「教育」は複雑にすればするほど、その機能を消してしまいます。アカデミアの理論や考えが現場で実践されない(されたとしても失敗する)のは、その複雑さとターゲットが絞られていないからです。
「教育」は、つねに「メーガーの3つの質問」に立ち返り、シンプルにデザインし、” 教える人間 ” の技能に左右されないことが重要です。
① Where am I going? (どこへ行くのか?)
② How do I know when I get there? (たどりついたかどうかをどうやって知るのか?)
③ How do I get there? (どうやってそこへ行くのか?)
一方、「学習」は違います。
学習内容を「オッカムの剃刀」でどんどん剃っていくとどうしようもありません。
「いや、「オッカムの剃刀」は ” 選択 ” の話だろ?」
ということを考える人もいるかもしれません。確かに ” 選択 ” についての内容です。
しかし、例のベストセラー「選択の科学/シーナ アイエンガー」と同じで、「オッカムの剃刀」で ” 選択肢 ” を少なくすればいいという単純なことではありません。
「学習」において、学ぶ内容を安易に ” 選択 ” してしまうことは、知識・スキルの穴を作ってしまうことにつながる可能性が大きいと思うのです。
「学習」においては、「確実に」「完全に」個々の内容を理解していくことが基本です。
勿論、それでもすべてを理解することはできないでしょうが、「オッカムの剃刀」を逃げにしてしまってはダメだと思うのです。
もともと、「オッカムの剃刀」というコトバが使われだしたのは、科学者などがあまりに複雑な問題に取り組み、どうしようもなくなった場合の「直感」や「ヒューリスティックス」を後押しするためだと思います。
ヴィンチ村のレオナルドさんが、「単純であることは究極の洗練だ」と言ったとしても、アインシュタインさんが、「何事もできるだけ単純な方がいい。しかし,単純にしすぎてはならない」と言ったとしても、
複雑なモノは ” 複雑 ” であることに違いはなく、複雑な部分をそぎ落として、シンプルにしたからといって、その内容が理解できるわけではないと思うのです。
世の中が、そんなにシンプルなら、誰も悩みません、、、よね?
「シンプルは美しい」かもしれませんが、
「シンプルが正しい」わけではありません。