louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「抽象性と教育」 ~ Actor-Network Theory、ANT ~

今回は、「 抽象性 と 教育 」 について少し考えてみます。

 

「教育・学習」は、分析、目標、方略、評価において、常に「具体性」が求められます。

 

様々なフレームワークは、思考、方法等を ” いかに具体的にするか ” ということを目的に作られています。

 

それ故、イメージとか、感覚的とかいうことをできるだけ排除することはやむをえません(いまだに、根強い抵抗はありますが)。


昭和・平成時代の KKD(経験、勘、度胸)  

を、

 

新KKD(データ(D)を科学(K)という物差しで分析をし、計画(K)に則った活動をする)

に、

 

ということが叫ばれて結構な時間が経ちました。

アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory、ANT)

しかし、一時期、「デザイン思考」等の流行により、イメージ、雰囲気、直感、、のような、ある意味かなり「抽象的」で曖昧な概念を取りいれよう、、という動きがありました。


そういった中で、AI のトレンドにも後押しをされて、とても狭い範囲(?)で語られたのが、” アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory、ANT) ” です。


(アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory、ANT))


社会学的な観点から科学、技術、社会の関係性を考察する理論で、ブルーノ・ラトゥールなどによって1980年代に提唱された。

「アクター(主体)」と「ネットワーク」の観念を中心に据え、人間だけでなく物体や概念なども含むあらゆる要素が相互に影響を及ぼし合いながらネットワークを形成し、それによって社会や文化が構築されていくという視点。

科学技術社会学情報科学、組織論など、様々な分野で用いられている。

イノベーションの研究やデザインの分野でも、新たな視点を提供する理論として注目された。

物質的な物や非物質的な物(アイディアや概念など)が等しく「アクター」として扱われる点が特徴的で、社会的な事象や現象を分析する際に、人間以外の要素の役割や影響力を考察するための枠組みを説明。


(アクターネットワーク理論と教育)


・教育環境の分析

教育環境を構成する要素すべて(教師、生徒、テキスト、教材、教室の空間、教育政策など)が相互に影響を及ぼし合いながらネットワークを形成していると捉える。教育の現象や問題を多角的かつ深く理解することが可能になる。


・技術の役割

テクノロジーやデジタルツールもアクターとして考える。これらが教育環境や学習結果にどのように影響を及ぼしているかを明らかにすることができる。


・変革の理解

新しい教育方法やカリキュラムの導入、教育政策の変更など、教育の変革がどのように進行し、どのように影響を及ぼすかを理解するためのフレームワークを提供できる。


・学習者中心の教育

学習者自身もアクターとして捉えるため、学習者中心の教育を実現するための視点を提供できる。


といった感じです。


アクターネットワーク理論教育環境の分析等に使用するメリットデメリット


(メリット)

 

・幅広い視野

人間だけでなく非人間的アクター(教材、教育テクノロジー、教室の空間など)もネットワークの一部として考えるため、教育環境を多角的に理解することができる。


・複雑な関係性の理解

アクター間の複雑な相互作用を捉えるフレームワークを提供し、教育環境における様々な要素の影響力や関係性を詳細に理解することができる。


・変化と進化の視点

アクター間のネットワークが時間と共にどのように変化・進化するかを考察する視点を提供し、教育環境の変化を追跡し、その要因や影響を理解することができる。


(デメリット)


・抽象度の高さ

非常に抽象的な理論であり、具体的な分析や解釈を行うには高度な理論的理解が必要となる。初学者にとっては理解や適用が難しい。


・オーバーシンプリフィケーションの危険

すべてのアクターを等しく扱うため、人間と非人間的アクターの間に存在する本質的な違いを過小評価する可能性がある。分析がオーバーシンプリフィケーション(過度な単純化)に陥る危険がある。


・適用範囲の問題

一部の具体的な事象や問題に対しては適用が難しい場合がある。個々の学習者の心理的な側面や感情など、内面的な要素を分析する際には、他の理論の方が適切な場合がある。


いくつかの教育現場では、アクターネットワーク理論を教育環境の分析に使用して、論文などが出ているようですが、結局のところ主流にはなりませんでした。


「教育・学習」において「抽象性」というのは、どうしても ” 悪 ” であったり ” 負 ” というネガティブな捉え方をされますから仕方がないことだとは思います。

 

学習者もツールも環境も教える人も、すべては確かに繋がっていて、その関係性は「学習」に大きな影響を及ぼします。


そういう意味では、アクターネットワーク理論はもしかすると非常に有効な分析結果を出せる可能性があったのではないか、、、と思ったりもします。


ただ、この考えの「抽象性」を覆い隠す(ブラックボックス AI が主流となってしまっては、なかなか復活は難しいですね?


一般に、深層学習機械学習というコトバには、あまり「抽象性」を感じにくく、「教育・学習」の分野でもすんなりと受け入れられます。


冷静に考えると、今の AI(中学生レベルのAI)など、「抽象性の塊」であり、「偏見に満ちたアルゴリズムであるように思うのですが、、、、


もしかすると、あと20年後くらいには、「抽象性」の欠片もない AI が教育分野の分析を行ってくれるのではないか?

 

などと考えています。