「意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論:ジュリオ・トノーニ , マルチェッロ・マッスィミーニ」をかなり前に読みました。
まだまだ研究の初期段階のようにも感じますが、今後の世界ではこのような理論や考え方が多く出てくるようにも思います。
そこで、今回は ”「統合情報理論(IIT)」と「教育・学習」” について考えてみます。
テレビやYouTube等によく出ている「脳科学者」たちの言動を鑑みると、全くあてにならないような気もしてきますが、少なくともこの本を読む限りはある程度の認知は必要ではないか、と思います。
ジュリオ・トノーニが提唱した
「統合情報理論(Integrated Information Theory、IIT)」は、
「意識の本質」を理論的に説明する試み
であり、大脳皮質が生成する複雑な情報の統合度合いが意識のレベルを決定すると主張しています。
脳の異なる部分がどのように連携して情報を処理するかという観点から説明しようとします。「統合情報理論」によれば、高度に統合された情報処理が行われている脳の部分は、それぞれが独自の「意識」を持つとされています。
(統合情報理論)は、「意識」を
・「情報」
・「統合」
という2つの ”基本的な要素” で理解しようとする理論で、
以下の「3つの基本的な原則」に基づいています。
・情報
システムが特定の状態にあることは、それが取り得る他のすべての可能な状態と区別される情報を伝達する。
・統合
意識的な経験は分割できない一つの統合体で、その部分を分離することはできない。
・除外
意識的な経験は、特定のシステムとその状態にのみ存在する。それは他のシステムや状態によって変えることはできない。
「統合情報理論」は、
「意識が存在するため」
には、
「情報が生成」され、
それが
「統合される」必要がある
と提唱しています。
この理論では、「意識の存在とレベル」は、システムが生成する「統合情報量」(Φ, phi)によって定義されます。Φの値が高いほど、システムは意識的だと考えます。
このあたりは、なんとなくですが、怪しい感じがしますね?
勿論、「統合情報理論」には多くの批判があります。
・脳の特定の部分が切断されても意識が存在する事例
・理論が神経科学の実験結果と一致しない
・Φの計算は非常に複雑であり、大規模なシステムに対しては現実的に計算不可能であるという問題
などから、「統合情報理論」の有効性についてはまだ議論が続いているようです。
「統合情報理論」を「教育・学習」に関連することで考えれば、
・学習と記憶の理解
情報の統合という観点から見たときに、脳がどのように情報を処理し統合するかについての理解を深めることができる。学習や記憶のメカニズムを理解するのに役立つ可能性がある。
・教育の個別化
個々の脳が異なる「統合情報量」を持つ可能性を示唆している。個々の学習者が異なる学習スタイルや能力を持つという考え方と一致する。したがって、この理論は教育の個別化やパーソナライズドラーニングの重要性を強調する可能性がある。
・意識的な学習
意識的な経験の重要性を強調している。学習者が自分の学習経験に意識的であること、つまり自分が何を学んでいるのか、どのように学んでいるのかを理解していることが重要であるという考え方を支持することができる。
個人の脳、意識が違うということは、全員同じ「教育・学習」では効果的・効率的ではない、、、、というインストラクショナルデザインや「教育・学習」理論の考え方と合致します。
PSI(Personalized System of Instruction):個別化教授システム)を推奨する根拠にもなりそうですね?
「情報」の「統合」とは、「学習」そのものですよね?
全くの専門外で「脳」も「意識」も曖昧にしかわかりませんが、このような研究が進んでいくにつれて、時代遅れの「教育・学習」の考え方が改善していってくれればいいですね。