今回は、 ” 今の時代に「文武両道」はそれほど称賛されるべきことなのか? ” というテーマで少しだけ考えてみます。

高校生の野球やサッカーなどの大会で、
「〇×高校は、県内有数の進学校で、文武両道を実践しています!」
とか、
「キャプテンの▽◇くんは成績優秀で医学部進学を目指しています・・」
みたいなフレーズをどれだけ聞いたことでしょう。
「文武両道」 = 「素晴らしい」 = 「理想」
のようなイメージは多くが持っていると思います。
(文武両道)
学問や文化の面(文武)と、武芸・運動など身体面(武道)両方に優れていることを意味する。
現在では「勉強とスポーツの両立」に使われることが多く、努力とバランスを評価する言葉として好意的に用いられる。
・古典での使用
『史記』にある「文事ある者は必ず武備あり」という記述から、学を修める者は武も備えるべきという考え。
・中世・近世における受容
『平家物語』にある「文武二道の達者かな」という表現は、すでに「文武両道」の理念が称賛されていた証拠であり、武士や豪士の中で文化的素養と戦闘技能の両立が理想とされた歴史的背景がある。
ということで、大昔から人は、「文武両道」が大好きなようです。
確かに、スポーツも勉強も両方できるということはコンピテンシーとしては優れたものがあるとは思います。
そして、「教育・学習」においても多くの人や学校などがそれを理想としたり、有用だというようなことを言ったりしています。
(文武両道と学習効果)
・認知機能の向上
運動は脳の血流を増加させ、記憶や集中力を高める効果があり、有酸素運動は海馬(記憶を司る部分)の働きを活性化し、学習効率を上げることが科学的に示されている。
・ストレス軽減とメンタル安定
学業だけに集中するとストレスが溜まりやすく、スポーツを取り入れることでストレスホルモンが減少し、気分が安定する。学習へのモチベーションも維持しやすくなる。
・タイムマネジメント能力の向上
文武両道を実践するには、限られた時間を効率的に使う必要があり、計画性や自己管理能力が鍛えられ、社会人になってからも役立つスキルとなる。
・成績への影響
研究によると、適度な運動をしている学生は、運動を全くしない学生よりも学業成績が良い傾向がある。しかし、過度なスポーツ活動は逆効果になる場合もある。
・社会性・リーダーシップの育成
スポーツを通じてチームワークやコミュニケーション能力が養われるため、学習面だけでなく人間関係やキャリア形成にもプラスになる。
というようなことが通説ではあります。
しかし、現実には
文武ともに ” とびぬけて優れている ”という人には、これまであったことがありません。
それはそうですね、野球なら野球だけ、学問なら学問だけを専門でやっている人のほうがその分野で実績を残すことは当然のことです。
それだけでなく、企業においては、どちらかというと業務の弊害になるような人が多かった気もします(完全に偏見ですが)。
とにかくが ” 中途半端 ” になりがちだと思うのです。
そういう私自身も、中学はテニス、高校はラグビー、大学では音楽、、などを必死にやっていて、それでもそこそこの大学には行かないと、、などと考えていたため、それなりに勉強をしていました(ほんとに中途半端でした)。
その結果、企業では、妙な知識(情報)だけはあるものの、実務をやらせれば中の下、、みたいな状況であったと思います(そこで、このままではダメだと思い「教育・学習」について何を置いても勉強して、小さな道が開けたわけですが、、、)。
今、そしてこれからの人に求められるものは? と考えると、これだけ AI やIT技術が進歩している時代ですから、 ” 中途半端 ” な文武の能力だけでは普通のサラリーマン生活さえやっていけなくなるように思うのです。
「文武両道」を称賛し、奨めるのではなく、
「文」でも「武」でもどちらかに ” 全振り ” することが求められる
ように感じてなりません。
もちろん、体(健康)も知識もバランスをとることは大事ですが、せめて、ある一定期間は「専門」を身に着けるために邁進しないと厳しい未来が待っているように思ってしまいます。
大昔、バブルの時代に ” ファジー ” などというコトバがはやりましたが、(あの狂気の時代ならそれもよかったのかもしれませんが)「文武両道」とはどちらにも全振りしないファジーな考えであり(タスクスイッチングは余りにもムダが多すぎます)、それを称賛する文化に少しだけ疑問を持っています。
幸いなことに人はやり直すことができますから、行き詰ったり、違うなと感じたら軌道修正すればいいだけのことです(なかなかやり直しのできないこの国の学校・企業・社会構造に問題はありますが)。
人間はシングルタスクしかできないですしね・・・