今回は、「完璧主義という妄想の蔓延」 というテーマで考えてみます。
たまにですが、
「彼(彼女)は完璧主義だから・・・」
とか、
「私はけっこう完璧主義者なんですよ」
などという人がいますが、
” ほとんど妄想ですね・・・”
と思うのです。
(完璧主義 : Perfectionism)
すべてに万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする。
定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のこと。
このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(perfectionist)と呼ぶ。
といった定義で、一見「優れた人」「秀才」「天才」のカテゴリーに入れてしまう感覚もわからないではありません。
しかし、通常の「完璧主義」は「自己肯定感」の高揚を目指すだけの思考と、非難できないレッテル貼りに思えます。
(完璧主義と自己肯定感の関係)
・条件付きの自己肯定感
完璧主義者は、何かを達成したときだけ自己肯定感を感じることが多い。ミスをしなかったときや他人に認められたときにだけ安心ができる。
・失敗への恐怖
失敗を極度に恐れ、失敗すると自己価値が低くなると感じる。
・他者の評価への依存
他人の評価に強く依存し、他者からの承認が自己肯定感に直結する。
偉人やカリスマの自伝などを読むと、「彼(彼女)は完璧主義であった」などという記述を見ることがありますが、その偉人やカリスマを人間として評価すると、「完璧」からは程遠いことがほとんどです。
「完璧主義者」と言われる数学や物理の天才は、その他の学問には全く興味を示さず、日常の生活においても、料理や洗濯さえできない、、、
といったことがザラにあります。
そういった人たちは「完璧主義者」ではなく、
” その道、その学問に興味を持って集中し、邁進できる(できた)人 ”
というだけのことです。
ところが、学校でも会社でも、人はやたらと「完璧主義」というコトバに拘り、「完璧主義者」を見つけたがり、中には成りたがります。
「自分は(対象は)特別なんだ!」
と思いたがります。
これまで学校や会社で「完璧主義者」と噂されたり、自分で称する人たちを何人も見てきましたが、
単純に、「1教科しか勉強しない(できない)人」、「仕事が遅く重箱の隅を永遠につつく人」がほとんどでした。
「いつも ” 完全習得学習 ” を推奨しているのに矛盾していないか?」
と思われるかもしれませんが、これは矛盾していません。
「完全習得学習」は知識やスキルを習得し、次のステップへ行くための単なる前提でしかありません。
「完全習得学習」は「完璧主義」でなくても実行できます。
そこにある内容を、自分の能力で習得できるまで「学習」すれば誰もが「完全習得」できます。
また、「完璧主義者」を自称したり、他人からそう評価される人の特徴として、その人が ”「完璧」である ” と言い張る学習や仕事において ”「完璧」からは程遠い ”というコトもあります。
論点やストーリーにズレがあり、” 強烈な思い込み ” で学習や仕事を行うため大概失敗していたりします(そして、自分の学習、仕事は完璧だが、他人のせいでこうなった、、、と言い張ります)。
「完璧」な人間などどこにもいません。
「拘り」は何事においても重要な進化ファクターですが、「思い込み」は大概マイナスに機能します。
「思い込み」のほとんどが「妄想」と言っていいかもしれません。
「完璧主義という妄想の蔓延」は、学習、仕事にとって弊害以外の何物でもないように思うのです。