louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「流暢性の錯覚(illusion of fluency)」と「教える」ということ

今日は、「わかった気になる」という「学習」にとって最も障害となる事案について考えていこうと思います。

 

そこで、よく言われる「流暢性の錯覚(illusion of fluency)」「教える」ということの関係性について、、、、

 

(流暢性の錯覚)

 

すぐに思い出せることは、将来も容易に思い出せると誤解すること。また、難しいことを平易な表現で説明されると、理解できたと錯覚すること。

 

言葉は難しいですが、内容は理解できますよね???

 

「流暢性(りゅうちょうせい)」とは、ヒトが、情報(主に言語情報)を適切に、素早く、数多く処理し出力する能力・特性のこと。

 

ということです。

 

例えば、学生の頃、テスト前に一夜漬けをやっていて、参考書を読んだ直後に「ああ、わかった、、、」と思っていても、翌日のテストでは全く思い出せない、、なんていうことです。

 

この「わかった気になる」というのは、ほとんどの人が陥る「錯覚」で、ある意味「ダニング・クルーガー効果」”パフォーマンスが低い人ほど自分の知識やスキルを過大評価する”、という認知バイアスに近いものがあります。

 

「マーカーでテキストに線を引く」とか、「試験対策を立てる」とかもそうですね。その時点で「わかった気に」なっていますよね、、、

(その後、学習、復習すればいいのですが、、、)

 

また、「流暢性の錯覚」には、

 

難しい概念を、特に”わかりやすく”説明されると、概念自体が実は”単純”で、「自分も最初から知っていた」と思い込む、、、

 

という特徴もあります。

 

これが、今日の本題なのですが、学校でも職場でもよくあるファインマン効果」と同じことです。

ファインマンさん、、教えて?

ファインマンの講義は、非常にわかりやすかったため、学生が理解したつもり(わかった気)になり、その後の復習などを行わない、、、という逸話です。


企業内教育の担当者などは、「今日の講義はわかりやすかったですか?」などという意味不明のアンケートをとって、自分の仕事が素晴らしいもののようにアピールしがちですが、みんなファインマンになったつもりなんでしょうかね?

 

「楽しい授業」、「わかりやすい講義」と、「学習」の「成果」は全く因果がありません。

 

何十年も企業内教育の講師をやっている人で、「つかみはOK!」みたいに自慢する人が何人もいました、、、、その「つかみ」っていうのは、「ダジャレ」であったり「時事ネタ」であったり、、、「学習内容」と全く関係のないことばかりで、どう考えても「学習」を疎外してるとしか思えませんでした、、、。

 

今でしょ!とか、、「英語なんて言葉なんだ、こんなものやれば誰だってできる」みたいなのも同じですね。


ファインマンの講義が「つかみはOK!」だったかどうかは知りませんが、


それと、これも非常に問題だと思うのですが、

 

社会において「頭のいい人」のコンピテンシーに、

 

「難しい内容を、わかりやすく簡単に説明できる、、、」みたいなのがありますが、

 

いやいや、、それって、単に「端折ってる」だけじゃないの? と感じます。

 

・内容が難しければ、それは「難しい内容」なんです。

・内容がやさしければ、それは「安易な内容」なんです。

 

「難しい内容を、わかりやすく簡単に説明できる」ことなどあるはずがないじゃないですか?


まぁ、根本的に「教える」という行為自体が無意味なことも多いので、教え方が「うまい」も「わかりにくい」もどうでもいいことなのですが、、、、