101回目、、、は、元に戻って、「教育」「学習」についての話です。
これも少し前のビジネストレンドですが、「協働」というのが取りざたされたことがありました(今でも言ってる人がいますね、、、)。
(協働)
複数の人や組織が共同で何かを行うことを指す言葉。特に、それぞれの役割や能力を活かしながら、協力して目標を達成するための行動や態度を示す。例えば、プロジェクトチームでの作業、異なる部門や企業間の連携、地域の住民やNPOと行政の協働などが該当する。
ということですが、この「協働」を「教育・学習」に取り入れようとする妙な動きがありました。
前に紹介した「ミネルバ大学」の授業形態や、「コホート型教育」が宣伝(業者のお金儲け)されたおかげで、ダボハゼのように何にでも食いつく教育担当者は「これからは「協働」だ!」みたいな空気がありました。
「ミネルバ大学」は確かに素晴らしいと思いますが、あれは他大学で学んだ超エリートが集まった「専門学校」のようなモノなので成立しているのです。
余談ですが、同じ超エリートなら「沖縄科学技術大学院大学(OIST)」の方が、専門性を更に磨くということでは凄いですね。
(コホート型教育)
同じグループの学生が同時期に同じ教育プログラムを受ける形式の教育方法のことを指す。この方法では、学生は一緒に授業を受け、プロジェクトを完了し、同じ時間に卒業する。
コホート型教育のメリットは、学生間での深い関係性の構築や、チームワークのスキルの向上、支え合いながら学習を進めることができる点。また、教員も学生一人一人の進行状況を把握しやすく、必要なサポートを提供しやすいという利点もある。
一方、デメリットとしては、個々の学生の進行速度に合わせたカスタマイズが難しい、また学生が一定の期間コミットする必要があるため、他の生活の負担やコミットメントと調整することが難しい場合があるという点が挙げられる。
「協働学習(Collaborative Learning)否定派宣言!」というタイトルにもあるように、私としては「協働学習」については肯定できません。
「コミュニケーション」「チームワーク」「学び合い」「相乗効果」「力を合わせる」「支え合い」という「よさそうな言葉」に踊らされているようにしか思えないのです。
勿論、TCI や PBL として複数人の意見や批評が必要な場合があることはわかっています。しかし、
根本的に、「学習は個人が自分だけで行うこと」
と考えています。
それを、「教育」として何でもかんでも「協働」のスタイルを取り入れることに違和感があるのです。
その昔、一時サポートした現場で、「ビジネス書趣味」のリーダーがいました。そしてその人が”筆記の資格試験”の学習に「協働」、、、を持ち込んできたことがあります。
「協働」「お互いにサポート」「学び合い」「ピアラーニング」、、、とどっかで拾った単語を並べ立ててきましたが、
「いや、全く意味がないので、、、」
と完全否定しました。
単純な「記憶」だけが必要な資格試験の学習に「協働」なんてムダ以外の何物でもありません。scaffoldingする講師はいるんですから、、、、。
こんなことを記すと、
「現場では「チームワーク」や「コミュニケーション」が必要だろ?」
って声が聞こえてきそうですが、それはそうです。当たり前のことです。
しかし、「学習」、その中でも「知識学習」、「記憶」ということにおいては、そんなものはほとんど必要がないということが言いたいわけです。
なぜ「塾」のほとんどが「個別指導」になっているかわかりますか? 「受験勉強」を友達とやるから、、、といって成果をだした子供がいますか(少しはいるかもしれませんね)?
まぁ、仕事柄ほとんど一人でやることが多いことと、「群れる」ことが大嫌いなので、かなりのバイアスがかかっていることは否めませんが、、、「学習者同士でサポートし合う」ということが納得がいかないのです。
サポートは講師、教師、TAのやることでしょう、、、、と。