今回は、「人材育成と評価の乖離」ということで、少し考えてみます。
「人材育成」というと、
・個々の従業員の能力やスキルを高め、その人材が組織の中で最大限に活躍できるように支援し、その成長を促進すること。
ですが、
「能力」や「スキル」を高める前に、その「評価」さえできていないのが”現状”だと思います。
そんなことなど関係なく登っていく ”島耕作” のような例外もたまにはいますが、
人は、
・自分は他人よりできる
・自分には能力がある
・評価されないのは上司がバカだからだ
なんて思いながら企業で生きています。
しかし、評価する側は、ビジネス書や研修などを通じて、
「これは、「ダニングクルーガー効果」ですね!」
などと断定し、切り捨ててしまいます。
しかし、これは本当に”ダニングクルーガー効果”なのでしょうか?
(ダニングクルーガー効果)
・自分の能力が低いほど、その自己評価が過大になりやすいという心理学的な現象。
・逆に、自分の能力が高いほど、その自己評価が過小になりやすい傾向も含まれる(インポスター(impostor))。
「ダニングクルーガー効果」では、
・「能力」が低い人
・「能力」が高い人
ということに着目しています。
もともとが大してn数のない実験なので、真剣にとらえること自体・・・ですが、そのことは置いておいて、
まずオカシイ(?)と思うのは、「能力」が低い、「能力」が高い、と、何をもって ”評価” しているのか?
また、何を「能力」としているか?
ということです。
”昭和の体制” が今も続いている ”日本企業” においては、職種によって様々でしょうが、大抵は、
・上司の言うことに”No”と言わない
・サービス残業をする
・飲み会に出席する
・ビジネスマナー通りの行動や服装をする
・(目的、目標もデザインしていない)評価テストでいい成績を取る
みたいなことができる人を「能力が高い人」、それができない人を「能力が低い人」として定義しているように思います。
数値が現れる営業職などが、「売り上げ額」で評価されるというのはまっとうなことですが、それでも「環境」が変わればどうでしょう?
A支店で「売り上げトップ」だった人が、B支店に異動したら「売り上げ最下位」なんていうことはよくあります。
さて、この人は「能力が高い」でしょうか? それとも「能力が低い」のでしょうか?
A支店の頃は「能力が高い人」、B支店では「能力が低い人」となりますね、、、、。
「能力」が高くなったり、低くなったり、、、、オカシイですよね?
上司の”間違った指示”にそのまま従う人と、「それは違う」という人の「能力」はどちらが高いでしょう?
誘われた飲み会は絶対に断らない人と、常に断る人の「能力」は?
スタッフ職で、毎日10時まで「サービス残業」をしている人と、定時に帰る人を比較して、「能力」が高い、低いと評価できるでしょうか?
Gショックをしている人と、グランドセイコーをしている人の「能力」はどうでしょう?
ここでいつも出てくるのが、「コミュニケーション」という魔法のコトバです。
「空気が読める」という、呪文も追加しておきましょう。
「21世紀スキル」なんていうモノが流行ってから、
「コミュニケーション能力が高い」=「全ての能力が高い」
という(ハロー効果)風潮になってしまったように思います。
(前に記した ”英語ができる” というのも同じですね)
日本企業は大昔から「コミュニケーション能力」を重視していて、基本的に ”それだけで評価”してきたということをすっかり忘れて、
「これからはもっと”コミュニケーション能力”を重視するように!」
などというまさに ”昭和的” 掛け声で、妙な研修に参加させます、、、ね?
これが「人材育成」?
前にも記しましたが、営業職やサービス業のような対人職には「コミュニケーション能力」も多少は必要でしょうが、そうではない職種もすべて同じようにそれをすべての「能力」として評価してしまっていることが、
日本企業が世界に置いて行かれている(没落している)
原因の一つだとも考えています。
今回のテーマに戻ると、、、
・自分は他人よりできる
・自分には能力がある
・評価されないのは上司がバカだからだ
と、各人が思うことはごく当たり前のことです!
ほとんどの人が「自分は他人よりできる」「自分には能力がある」と思っています。
そりゃそうです、「自分は他人より劣っている」「自分には能力がない」なんて考えて生きている人は少数だと思います(もちろんゼロではないでしょうが、”自分の能力が高いほど、その自己評価が過小になりやすい傾向も含まれる(インポスター(impostor))”なんて聞いたことがありません)。
また、「上司がバカ」なのは本当かもしれませんが、それは仕方がありません(これはどの職場でも常にあることです)。
しかし、実際の「評価」は「コミュニケーション能力」だけです。
まさに、「昭和」が続いています。
日本企業は、「能力」とは何かという定義と、正当な”評価”ができない、ということが問題なわけです(もちろん、海外の企業でもそういった会社は多いと思います)。
各企業の人事は、どこかの研修会社の宣伝を鵜呑みにして、成果を評価する基準を作ります。それが自社の各社員の ”仕事” に本当に必要な「能力」であることはほとんどありません。
そんな状況で「人材育成」などできるはずがありません。
企業における「能力」は、
各職種によってそれぞれの”真正な目的、目標”を作成し、
それに合致した「知識」「スキル」を”真正なテスト”によって評価するべきです。
”真正なテスト=真正な目標”を作れる人がいないというのは、「能力」を評価することができないということです。
インストラクショナルデザインや教育・学習理論の知識も何もない人たちが作ったいい加減なテストで、本当に必要な「能力」を評価することなど絶対にできません。
”真正なテスト”をして、
・(この分野では)自分は他人よりできない
・(この分野では)自分には能力がない
・(この分野では)評価されないのは上司がバカではないからだ
という風に各自に ”認知” してもらい、「できるかもしれない」「能力があるかもしれない」別の部門に移らせるということが「真の人材育成」だと思いますが、評価が「コミュケーション能力」だけの現状では、、、、、
「人材育成」なんてコトバは使わないでほしいですね、、、。