louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「定期テスト」の是非についての考察

少し前に、「宿題、定期テスト、クラス担任制を廃止」という方略をとった校長先生のことをメディアが一斉に取り上げていました。

 

書籍などもヒットし、一部の学校や企業で

定期テスト」の是非が問われました。

 

勿論、それで定期テストをなくすという選択をしたところはほとんどないでしょうが、、、、

定期テスト

今回は、定期テスト」の是非について少し考えてみたいと思います。


学校での定期テストというと、

・中間テスト
・期末テスト

 

企業においても、職種によって年間に1、2度の定期テストがある場合があります。


一般的に、「定期試験を行うことの意義」は、


・知識の確認

学習した内容をどれだけ理解し、記憶しているかを確認するための重要な手段。


・学習のモチベーション

成績や評価による競争心を刺激し、学習意欲を向上させる。


・リフレクション

学習者自身が自分の理解度や学習状況を把握し、学習方法や計画を見直す機会を提供。


相対評価

学習者の順位(成績)をつける。


といったところですね?

 

その中でも、相対評価」を行い、学校では通知表、企業では昇進昇格の基準付け、、、などの要素が大きいと思います。


真正な「教育・学習」の文脈から考えると、絶対評価をするべきですから、

常に ”「定期テスト」不要論” が語られます。


・「テストによる教育」の弊害

定期試験が行われると、学習者は試験に合格するためだけに学習し、結果として表面的な知識の吸収や一時的な記憶に重きを置くようになる。これは深い理解や批判的思考、創造性を育むのには逆効果である。


・学習意欲の喪失

定期試験が学習の全てを決定付けるような教育体制は、試験に対する恐怖感やプレッシャーから学習意欲を喪失させる可能性がある。


・多様な能力の評価の難しさ

定期試験は一般的に知識の定着度を評価するもので、学習者が持つ多様な能力、例えばコミュニケーション能力やプレゼンテーション能力、問題解決能力などを評価するのは難しい。


・教育の均質化

全ての学習者が同じ試験を受けることで、教育内容が均質化し、個々の学習者のニーズや興味、能力を無視した教育につながる可能性がある。


まぁ、確かにそうです。


インストラクショナルデザインの日本のトップである鈴木先生も、

「中間テスト・期末テスト等はやめた方がいい!」

と、よく言われますね?

 

そういうバックグラウンドもあって、例の「宿題、定期テスト、クラス担任制を廃止」という方略をとった校長先生が絶賛されるわけです。


では、すべての学校、企業で「定期テスト」を無くすことにメリットがあるでしょうか?


私的には、


定期テスト」は、”ほとんどの場合” 必要である!


と考えます。


まず、普通の学校においては「入試・受験」があるからです。


定期テスト「入試のテスト」とほぼ同じです。1つの内容だけを問うのではなく、ある一定の期間に学んだ範囲の多くの問いだからです。

 

入試のシミュレートにもなりますし、「テスト効果」による「学習」にもなります。

 

では、なぜ例の校長先生は絶賛されたか?

それは、

「教育・学習」を少しでも学んだ人がやりたくてもできなかったことだからです!

その実行力は、素晴らしいと思います。


しかし、それが本当にその生徒たちにとってよかったことなのかどうかは、また別の話です。

 

詳しくは内容を知らないのでいい加減なことは言えませんが、もしその方略をとった学校が「超進学校であるなら、問題ないでしょうね?

 

例えば、「灘中高」「開成」などのような学校なら定期テスト」なんて間違いなく不要だと思います。

 

生徒たちは、自分の進路を考え、それに必要な学習を自ら行っているからです。

 

そういった学校の生徒には、学校での「教育」も殆ど必要ではありません


が、一般の多くの学校、一般の多くの生徒は、そういう状況ではありません。

 

「中間テスト」「期末テスト」” 前だけ ” でも「学習」する機会が与えられることは非常に大きな意味を持ちますし、その結果を受けて「自分の学習」を考えるということにも意義があります。


このことは、企業における定期テストにも当てはまります。


自分で学び、成果を出している1割の優秀な人には不要でしょうが、9割の自ら学ばない人たちには有益だと思うのです。


ほとんどの「生徒」、ほとんどの「社員」は、自ら学びません。


その認識をもてば、安易に「定期テスト」を無くすとは言えないはずです。