louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「模倣」と「やってみせる」ということ

今回は、”「模倣」と「やってみせる」ということ ” について考えてみます。


「学習」にとって「模倣」は大きな意味を持ちます。

 

知識習得、スキル習得ともに「模倣」をすることから始まる「学習」というのも沢山あります。

 

特に幼児教育の分野では、「まずは、マネをしてみよう!」というモノがよくありますね?

 

また、小学校低学年の授業でも、先生が黒板に「1+1=2」と書き、それをそのまま生徒がノートに「1+1=2」と書き写すというのも「模倣」のひとつでしょう。

「模倣」と「やってみせる」

(「模倣」の効果)


・知識や技能の獲得

「模倣」は、新しい知識や技能を獲得するための基本的な学習方法であり、他人の行動や手法を観察し、それを自分のものにすることで、既存の知識や技能を強化し、新しいものを獲得することができる。


・習慣形成

日常的な行動や習慣は、他人の行動を模倣することで形成される。子供は親や兄弟、友人などの行動を模倣することで、社会的な行動やルールを学んでいく。


・模範による行動改善

特定の行動を改善するためには、その「模範」が必要であり、模倣はその手段となる。模範を通じて、自分の行動を客観的に評価し、改善することができる。


・社会的なスキルの獲得

コミュニケーションや協調性などの社会的なスキルも、他人の行動を模倣することで獲得される。他人との関わりの中で模倣を行うことで、自分の行動を調整し、社会的なスキルを身につけていく。


・想像力や創造力の育成

他人の行動や作品を模倣することで、新たな視点やアイデアを得ることができる。自分自身の想像力や創造力を育成する上で重要なプロセスとなる。


ということです。


「模倣」は「学習」にきっかけにもなりますし、「学習」を更に進めていく原動力ともなります。


ただ、肝心なのはいつかその「模倣」から離れて、自分なりの手法や考えを持つことができるかできないか? で、その後の「学習」の進行は変わってきます。


「学習」しても伸びが無い、、、ということの要因に、”「模倣」からの脱却 ” ができないということもあります。


「学習」が進むに従って課題や問題のハードルは上がっていき、そのうちに「模倣」だけでは対処できなくなります。


これは、記憶応用の関係によく似ています(厳密には違うと思いますが)。

何度も記しますが、インストラクショナルデザインでいうところの、


・「言語情報」

・「知的技能」

 

みたいなものですね?


・「言語情報」=「記憶」=「模倣」

・「知的技能」=「応用」=「模倣」からの脱却


といった感じです。


「知的技能」を測るのは、これまで出てきたことのない問題を解くというのがありますが、「1+1=2」「2-1=1」を「模倣」だけで覚えてきた生徒が、「1+1+2-1= 」でつまずくことがあります。

足し算、引き算はそれぞれできるけれど、足し算と引き算が一緒になった問題は解けない、、、、


まぁ、これは非常に初歩的な事例ですが、複雑な問題になればなるほど「模倣」だけではできなくなります。


企業内教育のロープレ研修などでも、「模倣」だけで終わってしまう場合が多くあります(詳しくは以前、「シミュレーションへの過大評価」で記しました)。


” 模範ビデオ ” を事前に見てきて、それをそのまま「模倣」する、、、というような研修をしていないでしょうか?


この場合の、” 模範ビデオ ” というのは、講師、教師が「やってみせる」ということです。


高度な、あるいはビジネスに直結した、または、複雑な「学習」の場合、教師、講師が「やってみせる」ということにはかなりのリスクがあると思います。

 

「やってみせる」→「模倣」

 

で完結してしまう場合がほとんどになってしまいます。

 

なぜなら、「やってみせる」ということは、それが「正解」「答え」だと認識してしまうからです。

いくら「現場ではそれぞれの状況に合わせてモディファイしてくださいね」などといっても「正解」はそれぞれの脳に記憶されます。


しかし、講師が言うように、例えばビジネスの場合などでは、相手も違う、状況も違う、、、という中では、「正解」とならない場合がほとんどなわけです。


「やってみせるというのは、教えることの基本だろ!」

 

と言う人がいます。


たしかに、低レベルの知識・スキルを習得させるには「やってみせる」という方略は間違っていないでしょうね?

「1+1=2」で完結するなら、それはそれでいいわけですが、、、

 

そして、この「やってみせる信仰」の大元は何か? と考えると、様々なリーダーや経営者がよく口にする、山本五十六の格言)にあるのではないかと思うのです。


”やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ”

 

どうです? コレって会社や研修でよく聞きませんか?


ビジネスは闘いであり、他社との戦争、、、みたいに捉える人たちも多いので、いまだに山本五十六のこのコトバが残っているんでしょうね・・・

 

これを真に受けて、「やってみせる」ことを基本だとするような「教育」が結構残ってしまっているわけです。


そろそろ、”「模倣」からの脱却 ” を考えてみてもいい頃ではないでしょうか?