louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「知性」と「知能」と「教育」と

今日は少し抽象的なお話です(いつもだけれど、、、)。


「知性(intellect)」「知能(intelligence)の違いは何でしょう?


人工知能とは言いますが、「人工知性」という言葉はあまり聞きませんね(あるのかもしれませんが、、、)。


なんとなくわかった気(これはほんとにいけませんね?)になっていないでしょうか?

私自身、感覚的に「知性」の方が少し高尚なもののように思っていました、、、、


とはいっても、心理学的な曖昧な概念なので、「インテリジェンス」=「知能」=「知性」ですむ場合も多いとは思います。

 

一応、定義としては、


(知能)

一般的には問題解決能力や学習能力、抽象的な思考を行う能力などを指す。

知能指数(IQ)のような標準化されたテストによって測定されることが多い。

知能は、人の認知的なスキルを測定する具体的な指標として使わる。


(知性)

より広範で抽象的な概念であり、知識や理解、思考する能力、そしてそれらをどのように使うか、またはどのように行動に移すかなどを含んでいる。

知性は、知能だけでなく、感情的知性や社会的知性など、人間の様々な側面をカバーする。

知能は知性の一部を形成する要素と言えるが、知性は知能だけでなく、より広範な能力や特性を含んだ概念。


ということで、「知性」「知能」を包含したもう少し広い能力ということですね。

 

確かに、ChatGPTに「道端に咲いた美しい花を見て、子供の頃の楽しかった思い出を呼び起こし、一時停止でいつもより少し長く停車する、、、」なんて感覚はないですね?
(例えが絶対的に間違ってるとは思いますが、、、)。

これは「知性」、、、?


人間の場合だと、「知性」「知能」も違いがあまりない、というより全体としては同じものなのですが、これをコンピュータやプログラムに適用する時に、流石に「知性」は言いすぎだろう? というような流れで「人工知能」になったのかなぁ~なんて思ったりもします。

スピアマンとキャッテル


レイモンド・キャッテル(Raymond Cattell)は、「知能」について

 

流動性知能(Fluid intelligence)

・結晶性知能(Crystallized intelligence)

 

という考えをしました。


流動性知能)

一般的には新しい情報を理解する能力や、抽象的な思考を行う能力、新しい問題を解決する能力。

過去の経験や学習に依存しない、生得的な脳の処理能力。


(結晶性知能)

年齢や経験を重ねることによって蓄積される知識やスキル。

学校で学んだ知識や、生活の中で経験を通じて学んだ事柄、言葉の理解や一般的な
事実についての知識、特定の分野における専門的な知識などを含む。


つまり、私たちが一般的に「知性」と認識しているのは流動性知能」ですね?


ということで、「教育」によって通常直接的なターゲットとされるのは「結晶性知能」の方だということです。


では、、問題解決、論理的思考、抽象的思考、パターン認識などの流動性知能」「教育」することはできないのか? というとそういうことではありません。


これら二つの知能は、「教育」の進行に伴い連携して発展するとされています。

 

流動性知能」によって新たな情報を理解し、それが「結晶性知能」として蓄積。そして、蓄積された「結晶性知能」は、新たな情報を理解するための基盤となり、さらに「流動性知能」を高めるということです。


基礎的な知識・スキルがあって問題も発見できるし、課題を解決するという思考が生まれるということですね。

 

だから、ここ数年の流行りである、詰め込み教育をやめて創造的、論理的、発見的、探索的教育」は、一長一短があり、生まれ持って高度の「流動性知能」を持っている学習者には効果がありますが、それが無い学習者にいきなりそんなことをやっても意味がないということになりますね。

オードリー・タンさんやアインシュタインのような人には、そういうことをやったらいいと思います。


しかし、スピアマンといい弟子(?)のキャッテルといい、こういうことを考えるのは楽しかっただろうな、、、なんて思います。