louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「多重知能理論」について(ほんの少しだけ思うこと)

今日は、「多重知能理論」について少し考えてみます。


「多重知能理論」は、Multiple Intelligence理論(MI理論)として、ハワード・ガードナーによって提唱されました、、、

・・・なんてことはどうでもよくて、さっそく内容です。


要は、「知能」についての「分類」ですね?


「知能」というと、誰もがいまだに「IQ」を思いますよね?

最近はさすがに「IQが高い」=「凄い人」みたいな感覚も少なくなりましたが、それでも、アインシュタインの「IQ」は、、とか、ノイマンの「IQ」は? とか言う人っています。


私的には「IQ」なんていういい加減な「数値」に意味はないと思っています。
そこで、ガードナーは、「IQ」なんて「知能」の一部の特徴でしかないだろ?

みたいに考えたのではないかと、、、(適当です)。

多重知能理論


ガードナーの説だと、人間の「知能」8つに分けられるとのことです。


・言語(Verbal/Linguistic)
・数理・論理(Logical/Mathematical)
・空間(Visual/Spatial)
・運動感覚(Bodily/Kinesthetic)
・音楽(Musical/Rhythmic)
・対人(Inter-personal/Social)
・内省 (Intra-personal/Introspective)
・自然(Naturalist)


(言語知能)

口頭言語運用と作文の能力を含み、統語論、音韻論、意味論、語用論を組み合わせ自在に運用する。この種の人々は学習時に言葉や文字で以て考え、言葉遊び、読書、討論、作文を好む。


(数学的論理知能)

数字に関連する仕事に従事する人々は特にこの種の数字と推論を有効に運用する知能を必要とする。学習時推論に頼って考え、質問をしたり、実験を行う事で答えを探求したり、物事の法則や論理的な順序を見つけたりする事を好み、科学の新しい発展に興味を持つ。他人の言葉や行動でさえ論理的な欠陥を探すのに適した場所になっており、測定、分類、分析され得る事物を受け入れ易い。


(空間知能)

空間知能が強い人々は、色彩、線、形状、形式、空間及びそれらの間の関係に非常に敏感であり、視覚空間を正確に知覚でき知覚したものを表現できる。この種の人々は学習時に印象と画像で以て考える。
空間知能は画像的空間知能と抽象的空間知能の2種類の能力に分けられる。画像的空間知能は画家で秀でる。抽象的空間知能は幾何学屋で秀でる。建築家は両者共に優れる。


(運動感覚知能)

全身を使って考えや感情を表現するのが得意であり、両手で器用に物を作ったり改造する能力。この種の人は、長時間じっと座っているのが難しく、手で物を作るのが好きで、屋外活動を好み、人と話すときにジェスチャーや他のボディーランゲージをよく使う。彼らは学習時に身体感覚を通じて考える。


(音楽知能)

音楽的知能の高い人は、音楽を察知し、識別し、変化させ、表現することができ、リズム、トーン、メロディー、音色に敏感である。学習時にはリズムメロディーを通して考える。


(対人知能)

この種の人々は、人の表情や声、動きに対し敏感で、他人の情緒や意向、動機、感じ方を察して区別できる。彼らは団体活動に参加する事を好み、他人を助けたりやり方を教えたりする事を進んで行い、群衆の中だと快適に感じる。そして通常、団体の中の指導者であり、他の人のフィードバックに依って考える。例:カーネギー、ブラックヤングドラゴン、ルーズベルト


(内省知能)

内省知能が強い人々は、自分自身をよく理解し、自分に内在する情緒、意向、動機、気性、欲求を意識でき、そこで、自ら律し、自らを知り、自らを尊ぶ能力も意識できる。様々なフィードバックからの自らの優劣を理解でき、自らの人生の目標を常に冷静に思い描き、独り居る事を愛し、自我に深く入り込む事で考える。
内省知能は事象レベルと価値レベルの2つの階層に分けられる。事象レベルは事象の成敗に対する総括を指す?省知能であり、価値レベルは事象の成敗と価値観との関係から自己審査する?省知能である。


(自然知能)

植物や動物、その他の自然環境(雲や石など)を認識する能力。自然知能の強い人々は、狩猟、農業、生物科学上の態度が突出している。
自然知能は当然一歩一歩帰結していく事で探索する知能であり、社会に対する探索と自然に対する探索2つの側面を含む。

 

とのことです。


なかなか、説得力がありますし、

「お勉強ができるだけが素晴らしい人間ではない」

というメッセージも感じられ、普及する条件は満たしています。


たしかに、人間の能力は「お勉強」だけでも「運動神経」だけでも、「コミュ力」、、、、に限定されるものではありません。

 

そして、それぞれが「得意なこと」=「能力があること」に専念できる世界であれば、それ以上のことはないし、素晴らしいことだと思います。

と、簡単にいかないのが「人の世」ですが、、、、

 


また、「多重知能理論」からしばらくして、「EQ(Emotional Quotient、感情知能)」なんていうのもでてきましたね?

これは一時、トレンドになりました。


(EQ)

ダニエル・ゴールマンによって提唱された概念で、知能指数(IQ)だけでは人間の能力を十分に評価できないという考え。EQは自己認識、自己管理、社会的認識、関係管理の4つの領域に分けられ、自分自身と他人の感情を理解し、管理し、適切に対応する能力。


「多重知能理論」も「EQ」も、「IQ絶対主義」に対抗するように出てきたものですが、ビジネスの世界では”曖昧な定義”の「EQ」の方が受け入れられたと思います。

エンゲージメントだとかウェルネスワークライフバランスとかが流行った時代のことです、、、、。

 

「多重知能理論」「EQ」を企業内の教育や研修に取り入れることも少し行われていましたが、結局は長続きしませんでしたね。


なぜかと考えてみると、企業(特に日本企業の場合、

 

何かの分野に”突出”した「能力」ではなくて、

「平均的」な「能力」を重視するということです。


「バランス」とも呼びます。


それゆえ、「多重知能理論」でガードナーが意図したこととは「逆の発想」で、「知能」のバランス、平均化、、、を取ろうとしたわけです。

 

「没個性」、「没特化」、「没専門性」、「機械人間化」を選択してしまったのですね、、、。

 

この日本企業の「構造」「システム」「傾向」「慣習」があるため、「教育・学習」においても、「レベル別学習」「個別学習」などが取り入れられない、、、わけです。