louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「集中力(concentration)」なんて気にしない!

教育・学習関連の文脈だけではなく、あらゆるレーニング、訓練等の中で、「集中力(concentration)」については、過去から現在、そして未来にも永遠と語られます。


「学習には集中が必要」

集中しろ!」

集中力が足りないからだ」

集中力が続かない、、、」


ほんとによく聞くコトバですね?


それゆえ、「集中力(concentration)」についての書籍は毎月のように出版され、世界中で研修やセミナーが毎日どこかで行われています(たぶん)。


以前紹介した、全く根拠のない「90/20/8の法則」や、ポモドーロテクニックなども、「集中力」が、、、、と言います。


「集中力」でネットを検索してみて下さい。

ありとあらゆる手法、続かない原因などがいくらでもヒットします。


(集中力を高める方法)

・目に見える範囲に気が散るものを置かない
・デスクに鏡を置くことで集中している自分を意識する
・集中と休憩のサイクルをこまめに繰り返す
・お手本にしたい人と一緒に作業する
・自分なりのルーティンを決めて毎回実行する
・自分に合う難易度のものから始める
・コーヒーなどに含まれるカフェインで注意力を持続させる
・自分は集中できる人間だというセルフイメージを持つ
・レモンの香りをかぐことで交感神経を優位にする
・自然音を聞きながら作業する
・良い姿勢を作る
・深呼吸で脳に酸素を送る
・目の焦点を合わせる
・ご飯を食べる時、最初の5粒はひと粒ずつ味わう
・甘いものは勉強前に少しだけ食べる
・好きな音楽や癒しの音楽で脳をリラックスさせる
・聞き込まない程度のBGMを流して集中する
・人に教えることを意識して勉強する
・目標を小さく分けて達成する
・合格したらやりたいことに目標を置く
・勉強する場所を決める
・勉強をするときの服装を決める
・部屋の温度を快適に保つ

集中力

ほとんど何をやっても「集中力」は高まりそうですね、、、、?


「ビジネスマナー」と同じで、「集中力」というのもいくらでも新しい手法が好き勝手に考え出せるので、、、、

結局、「商売」になるわけです。


勿論、脳の反応等を研究している人たちにとって「集中」している状態を把握することは大変重要なことなのでしょうが、学習仕事において目に見えない「集中力」それほど大事なことでしょうか?


と思うのです。


「集中力」は当然、個人によって、またその対象となる事案によって全く違ってきます。

 

例えば、学習している時に、周りがどれほど煩くても「集中」できる人もいますし、無音でないと「集中」できないと怒る人もいます。

ゲームだと「集中」できるけど、「勉強」になったら「集中」できない、、、とか、


しかも、その状態で、本当に「集中」できているかどうかは、本人でさえわからないのです(脳の反応を調べればわかるのでしょうが、、、)。

 

また、仮に「集中」して学習していたとしても、内容を習得できたかどうかは「テスト」で結果を見るしかないわけです。


毎回記しているように、

”「学習」して、習得する時間は個人によって違う!”

ということです。

”「教育」の時間など全くのナンセンスなわけです!”

 

学習者が、授業や研修の中でいくら「集中」できたと(仮定)しても、習得できる人できない人が出ます。

それは「個人差」であり、インストラクションを行う側は、全員がその内容を習得できるようにデザインするべきことなのです。

 

不合格者が出て、「彼は集中していなかったからなぁ、、、」なんていう教師、講師、教育担当者は最悪です(実際、よくいます)。


それで、デザインを考えるのでは無く、手っ取り早い「集中力」を高める方法、、、とやらに手を出すのです。


一般のインストラクションが学習内容の場合(例外は何にでもあります)で、「集中力」とか「集中」ということに意識を囚われすぎている現状を変える必要があると思っています。


「集中力(concentration)」?


そんなものはどうでもいいんだ、、と考えて、全員が「完全習得」できるデザインのことを考えよう、、、というお話でした。


因みに、こういう風潮を煽っているのが、”頭がいい”とされている人たちの発言や噂です。

「受験の半年前から”集中して”勉強しただけで、普通に東大へ入れた、、」

なんていうのを聞いて、

「やっぱり”集中”が大事だ!」

集中しなさい!」


ではないのです。


そんなのは、ほとんどが”盛った自慢話”であり、もし本当だとしても、単なる「個体差」で、その事案(勉強)を習得する時間が”たまたま”その人が他の人より短かったというだけのことだと思います。