louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「1万時間の法則(10,000 Hour Rule)」を批判する知識人たちが多すぎて・・・

以前記した、ティッピングポイント(Tipping Point)」マルコム・グラドウェルが有名にした「1万時間の法則(10,000 Hour Rule)」についての考えです。

1万時間の法則

(1万時間の法則(10,000 Hour Rule, Ten-Thousand-Hour Rule))


物事を極めたエキスパートは練習や努力に約1万時間を費やしていたという事例から導き出された「人は何かを習得するのに1万時間の練習が必要である」という説。

マルコム・グラドウェルの著書『天才! 成功する人々の法則』(原題:Outliers: The Story of Success)によって広まった。 1日の平均練習時間を3時間と仮定すれば、1万時間はおよそ10年に相当する。


これはかなり広く知られた内容だと思います。

 

特に”ビジネス書フリーク”の人たちにとっては、もはや常識(?)ですね?

 

また、多くの高額(!)研修でも、講師様が口にされますね、、、

 

しかし、「1万時間」という単位だけを取り上げて、様々な「知識人たち」から批判の声が上がりました。


「努力が報われないことだってある」

とか、

「1万時間の根拠は?」

とか、

「知的職種においては関連がない」


などと、、、、


そして、ダニエル・カーネマン「経験に基づく洞察とその結果の間には、全く関係がない、、、」なんていうコトバを引用したりして、、、


まぁ、グラドウェルが調子に乗って(?)断定的になってしまった感はありますが、


・「学習」

・「スポーツ」

・「芸術」

等の分野では、あながち間違ってはいないように思っています。


努力したくない人や、努力を隠したい(?)人は、

 

「量より質でしょ!」

 

という、いつもの決まり文句を言います。


本当にそうでしょうか?


「質」が大事なのは当然ですが、エキスパートになるためには「圧倒的な量」が無いとムリだと思うのです。


「学習」においては、様々な方略、理論、モチベーション、能動性、、、が必要ですが、たとえそういったものが揃っていたとしても、「量」をこなさないとダメだということはわかりきったことです。

 

何かをしようとする際に、文句ばかりを言って行動しない人が多いですが、そういった人たちは、決して「エキスパート」にはなれません。


超高学歴の両親から生まれた子供であっても、

「学習」の「量」をこなさなければ、「絶対に東大には入れません!」。


「勉強なんて全くやらなかった、、、」


みたいに嘯く高学歴の人たちは多いですが、、、完全に嘘です!

そういった人に限って、「受験勉強なんてするな!」みたいなことを言います(自分が必死でやってきたのにもかかわらず、、、)。


もちろん、「1万時間」なんていうのは単なる”キャッチフレーズ”であり、何の意味もありません。

しかし、「努力」「量」があまり重要視されなことは結構問題だと思います。


インストラクショナルデザインにおいては、「効果」「効率」を求めます(そして、「魅力」も、、、)。


「効果」を最優先に求めるのであれば、「量」も必須です。

「効率」だけでいいのなら、ある程度「量」を減らすことも可能でしょう(それが目的なのですから、、、)。


大体のビジネス書では、「量より質」が推奨され、「意味のないことはやるな!」と書いてあります。


「意味のないこと」はやらなくていいとは思いますが、「意味のあること」の「量」をこなすことが「習得」では重要なのです。

 

ビジネス職種のスキーマを習得するには、「量」は必要です。


何となく、頭でっかちで、「自分は努力なんてしていないけど、質を追求したから、こんなに有名になった、、、」みたいな知識人たちが多すぎて、、、


「才能が無いのに、いくら努力してもモーツァルトにはなれないでしょ!」

という人がいました。

 

いやいや、誰も自分がモーツァルトになりたいと思ってやっているわけではないのです、、、、。