今回は、「教育の未来像」ということで考えてみます。
こうなってほしい、、という希望的な想いなので、本当にそうはならないように思ったりもしていますが・・・
教育に限らず、どの分野でも同じだと思いますが、ChatGPTの出現により、”生成AI”が大きなトレンド、つまり関心事項になっていますね?
企業は、実際の業務に組み入れようと、わざわざワーキンググループやプロジェクトを発足させて、ああだこうだとやっていることだと思います。
また、アカデミアも同じようにAIの使い道を模索しているでしょう。
しかし、何度も記しますが、現状のChatGPTやその他の”生成AI”のレベルでは、やれることは非常に限られており、正直なところ、「検討や思考、会議の時間、経費」と「成果」を比較すると、
「プラスよりマイナスの方が多い」
と思われます。
勿論、生産の現場や、プログラミング周辺の仕事、ディープラーニングの研究などの企業・アカデミアの環境では、これまでになく
「使える」
モノだとは思います。
という前置きをして、テーマに入っていきます。
誰も(私)が求める「教育の未来像」とは、
”From Sage on the Stage to Guide on the Side”
が実現され、
「教師」「教授」「教育担当」・・などという名前の職業、担当が無くなり、「サポーター」等に統一される、、、、ことではないでしょうか?
と、書くと、そういった立場の人たちから大バッシングを受けそうですが、いや、大丈夫です、ここ10年や20年では間違いなく無くなりませんから、安心して(?)ください。
もし、AIが今より数段進化し、ある程度人間の思考と近いものになれば、間違いなく「教師」「教授」「教育担当」といったような名称の役割はなくなります。
新しい「教育・学習理論」をAIが考えだし、現場でのインストラクションもAIが作り出し、学習者はそれに沿って学習するだけの世界が来ると思います。
今は、アカデミアで研究、実験、発表(論文化、書籍化等)、、、がなされ、それを察知した教師や教育担当者が、それぞれのケースの参考(?)にしてインストラクションがなされる、、、といった状況です(とはいっても、90%以上の教師、教育担当者はそれをせず、自分の考え、受けてきた学校教育を元に”インストラクション擬き”が行われているのが実情ですが・・・)。
それがAIにより全て生成されてしまえば、、、、
という風に思うのです。
数十年後の未来の話なので、バッシングは無しです。
”「研究と実践の自動連携(理論に基づいた教育)」を”AI” で”
というよりも
”「研究と実践の自動連携(理論に基づいた教育)」を”AI” が”
という表現の方があっていますね?
教育関連の学会などでは、遠い昔から現在まで、
「研究」と「実践」の”融合”
というテーマがあります。
しかし、「アカデミアはアカデミア」、「現場は現場」という
”安全な住み分け”
があるわけです。
そのため、この”融合”を積極的に(本気で)やろうというアカデミアも企業もほとんどありません。
アカデミアでいえば、熊大インストラクショナルデザインが崩壊した今となっては、、、皆無と言ってもいいかもしれませんね(早稲田の向後先生みたいに独自で頑張っている方はいますが・・・)?
また、現場は現場で、好き勝手な”インストラクション擬き”を行い、それぞれが学ぶことを放棄しています。
「教育は学習者の支援」
「学習者主体の教育」
ということは、書籍や論文の中だけの話で、実現しようとしている人、団体がどこにいる(ある)でしょうか?
真の「学習者の支援」「学習者主体」は、”AIの進化”にかかっているのではないかと、このところ考えています。
私も含めて、人間というものはすべての役割を果たすことができません。
鈴木先生、平岡先生、向後先生、仲林先生たちが、頑張ってもどうにもならなかったことです(もちろん、個別の事案については成果を出しているものもありますが、全体としてみると、、、、、)。
私が生きている間には、
「研究と実践の自動連携(理論に基づいた教育)」
ということにはならないと思います。
だから、未来にはやらなくてもいい伝道、船頭のような事を敢えてやっているわけです。