louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

教育が「科学」であってはならないのか?

インストラクショナルデザインはもとより、様々な教育・学習理論手法システム思考が世に出るたびに、


「教育は科学である!」


という人々と、


「教育は科学であってはならない!」


という人々の間で、常に論争が毎回起こります。

 

今回は、「教育が「科学」であってはならないのか?」ということで、少し考えてみたいと思います。


このような論争が起こること自体は、「教育」というモノが少しは注目されるということなので、実は結構イイことではないか?

などと、勝手に思っています。


では、いくつかの意見を羅列してみると、


・教育は、科学的な要素を含む一方で、科学だけで説明できるものではない。

 

・教育は、人間の学習や発達を促進するための一連の活動であり、その過程は非常に複雑で、個々の生徒の学習スタイル、背景、ニーズなどによって大きく変わる可能性がある。

 

・科学的なアプローチは、教育の一部分を理解するのに有用なツールである。

 

・科学的な研究によって、ある教育方法が一般的に効果的であるか、あるいは特定の条件下で効果的であるかを理解することができる。

 

・教育は科学だけではなく、芸術や人間の理解も必要とする分野である。

 

・教師の直感や経験、創造性、感性などは、教育の質を高める上で非常に重要な役割を果たす。

 

・教育は個々の生徒とその家族、学校、地域社会との繋がりの中で行われるため、その文脈を理解することが重要。


それぞれの意見は、まぁ、ある程度まっとうなモノですが、、、


・教師の直感や経験、創造性、感性などは、教育の質を高める上で非常に重要な役割を果たす。


だけは、圧倒的に受け入れられません、、、、


イコール→ 昭和の”KKD(経験・勘・度胸)”


ですから、、ね。

教育は科学!

エビデンスに基づく教育(Evidence-Based Education)」が出てきた時は、特に大きな話題になりました。


(EBE)

・教育方法や教育政策を決定する際に科学的なエビデンス(証拠)を重視するアプローチ。

 

・教育実践や教育政策が子供たちの学習成果にどのような影響を及ぼすかを、統計分析や実験研究などの科学的手法を用いて検証し、その結果に基づいて最善の教育方法を選択する。


エビデンスに基づく教育の主な目的は、教育の質を向上させ、教育の効果を最大化することにある。


・教師の教育法、カリキュラムの設計、教育政策の策定など、教育のあらゆる側面が含まれる。


・医療分野のエビデンスに基づく医療(Evidence-Based Medicine)から影響を受けており、教育現場でも科学的な根拠に基づいた意思決定を行うことの重要性が認識されるようになった。


この時の批判としては、


エビデンスで人の心はわからない。

・教育は科学ではない。

エビデンスによって特定の指導方法を批判するべきではない。

エビデンスは統計的多数者を重視し,少数を切り捨てるものではないか。

・EBEは指導方法の画一化を招くのではないか。

エビデンスは大事だが,それだけではいけない。


もう、屁理屈というか、、、意味の分からないモノが多かったですね。


全く、インストラクショナルデザインPSI(個別化教授システム(Personalized System of Instruction))等何も知らない人の意見ですね?

 

ダニエル・カーネマンのシステム1,2も、、、きっと知らないんでしょう。

エビデンス」と「心」の関係?

「ご講演座学」を批判してはダメ?

エビデンス」以外に何が必要?

と思いました。


しかし、”ICTだ”、”AIだ”、、、とか言っている現在でも、


「教育は科学であってはならない!」


と主張する人が非常に多いのは事実です。


まぁ、COOL JAPAN(?)な私でも、

「心」「情熱」「気持ち」「気づき」「感情」「魅力」・・・・

などのコトバの意味はわかりますし、それこそ「心が動く」ような気もします。

しかし、

「教職」は「聖職」だ、、

とか、

「先生を尊敬しましょう」、、、

みたいな人たちがいまだに多すぎて混乱したりすることもあります。


それは「哲学(もしくは一種の宗教)」であって、決して「科学」ではないですから、「教育」とは別のモノとして考えるべきだと思うのです。


数学も医学も物理学も、元々は「哲学」であったモノが「エビデンス」を残し、”証明できないモノ(哲学)を切り捨てて”「科学」になりました。


それは誰も批判しないでしょう?

しかし、「教育」「心理学」脳科学などは、「科学派」「非科学(哲学)派」に分かれてしまいます。


また、「教育」を「科学」として捉える(&捉えてほしい)人たちも、

”証明できないモノ(哲学)”

を無理やり(?)に盛り込んでしまうことが多いのです。


・ブルームのタキソノミー(情意的領域)

・ガニェの学習成果の5分類の「態度」

・ケラーのARCS(注意(Attention)、関連性(Relevance)、自信(Confidence)、満足感(Satisfaction)


「教育」にこういうモノを含めたい気持ちは確かにわかります。

 

しかし、こういうモノを分離して「教育・学習理論」や「インストラクショナルデザイン」が世に出ていたら、、、、

「教育は科学であってはならない!」

と主張する人も今よりは少なかったかもしれないですね、、、?


私的には、「心」「情熱」「気持ち」「気づき」「感情」「魅力」「精神」などの要素をとりあえずは隠して、

胸を張って

「教育は科学である!」

と言いたいのです。