”学習” して得られる”知識”というモノは、通常「レイヤー(層)」として考えられていて、ベースとなる「背景」の上に「各パーツ」の層を重ねていきます。
そして、「背景」「各パーツのレイヤー」を ”知識” として記憶します。
Photoshopで、画像を作っていくような感じでしょうか?
ここで大まかに考えると、2つのパターンが発生します。
・「Photoshop形式で保存する人」
と
・「JPEG等の形式で保存する人」
「Photoshopの形式」で保存する場合、「各レイヤー」はそのまま活きていますが、「JPEGなどの別形式」で保存する場合には、「画像を統合」します。
そして、人の知識も、
・「背景の上に、各レイヤー(パーツ)を記憶する人」
と、
・「知識を”統合”して記憶する人」
がいます。
これは、どちらがイイとか悪いとかではなく、その人の能力、コンピテンシーだと思います。
「背景の上に、各レイヤー(パーツ)を記憶する(Photoshop形式で保存する)」というのは、AIの学習とよく似ています(というより、元は人の脳の構造なのでしょうが、、)。
例えば、画像認識のAIでは、初めのレイヤー(背景)では基本的な特徴(色やエッジなど)を学習し、次のレイヤーではそれら基本的な特徴を組み合わせてより複雑な特徴(形状など)を学習します。
これらのレイヤーは階層的に構造化され、上位のレイヤーほど抽象的な「知識」を表現します。そして、これらのレイヤーを通じてAIはデータのパターンを「理解」し、タスクを実行します。
みたいな感じでしょうか(違うかも?)、、
当然、こちらの方が効率的ですし、各パーツ(知識)の再利用や、別のパターン、全く違った事案についての適用、精緻化にも有効でしょう、、、
そう考えると、こういったことは、現在の「スキーマ」を習得するような様々なパターン学習や方略にも結構な影響を及ぼしているようにも思えます。
「スキーマ」を習得するということは当然重要で、これまでもそのための方略やモデル(4C/IDモデル、精緻化モデル、メリルのIDの第一原理等)を紹介してきましたが、この2種類(?)の能力、コンピテンシーによって、たとえ「スキーマ」を習得したとしても、上手く適用できる人とできない人がいるということです。
こういった内容の研究がなされているかどうかは不明ですが気になります。
「4C/IDモデル」や「メリルのIDの第一原理」を使って「スキーマ」を習得できるように研修を行っても、実際の現場で成果を出せる人と、出せない人がいます。
成果を出せなかった人に意見を聞くと、
「あの研修で習ったことだと気づかなかった、、、」
とか、
「研修と全く同じやり取りをしたのに、、、」
ということがよくあります。
これは、研修で「スキーマ」を習得できなかったことではなく、「スキーマ」を習得したけれど、「各パーツ」を置き換えたり、別の「パーツ」を持ってくることができなかったことが原因ではないかと思います。
つまり、「知識をJPEGのように”統合”して記憶」してしまった結果、全く同じ事案でないと、記憶を呼び出せない、適用できない、、ということではないかと考えるのです。
もしそうであるなら、、、、
と言っても、それは個人の生まれ持った(?)能力、コンピテンシー、、傾向、、なので、変えることは不可能です。
では、教育としてはどう考えるか? どういう方略が考えられるか?
というと、
どこかの大富豪がやろうとしているような「脳に機器を埋め込む」ことがあたりまえの時代になれば別ですが(多分そんな時代は来ないと思いますが)、
・タスクを細かく分ける
しかないと思うのです。
・小さな「スキーマ」を数多く習得
して、、、、、
と考えると、元々の「全体を見渡して、、」というTCIの考え方と少し矛盾してしまいますが、、、、、
学習の成果が出なかった場合、そのような方略やモデルも必要ではないかと思います。