louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「Society」と「教育・学習」進化の相違について

このところ、”「人間中心の社会」を目指す” というコトバがやたらと叫ばれるようになりました。

 

これは国が打ち出している「Society 5.0」の影響が大きいですね?


ということで、今回は、”「Society」と「教育・学習」進化の相違 ” について考えてみます。


・狩猟社会(Society 1.0)

・農耕社会(Society 2.0)

・工業社会(Society 3.0)

・情報社会(Society 4.0)

 

の後に来るのが、


「Society 5.0」

だそうです。


(Society 5.0)

第5期科学技術基本計画(平成28年1月22日閣議決定)において、「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」としてSociety 5.0が初めて提唱された。

第5期科学技術基本計画で提示した Society 5.0の概念を具体化し、現実のものとするために、令和3年3月26日に閣議決定された第6期科学技術・イノベーション基本計画では、我が国が目指すべきSociety 5.0の未来社会像を「持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」と表現している。

我が国が目指すべき未来社会の姿。

「人間中心の社会」を目指し、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)などの先端技術を活用して、社会課題の解決や生活の質の向上を図ることを目指す。

具体的には、ヘルスケア、モビリティ、インフラ、物流、製造業など、さまざまな分野でデータやAIを活用し、それぞれの個人や組織が自由で豊かな社会生活を送ることができるような社会の実現を目指している。


とのことです。


目標ビジョンが混同していて、流石に ”お役所仕事” だなぁ、という感想は否めないですが、、、


まぁ、それは置いておいて、「教育・学習」「人材育成」の分野で考えてみると、

 

・「多様性」「公正や個人の尊厳」「多様な幸せ(well-being)」の価値がSociety 5.0の中核であることを踏まえ、社会全体で教育・人材育成政策を推進すべく取組を進めている。

・自ら課題を発見し解決手法を模索する、探究的な活動を通じて身につく能力・資質が重要。世界に新たな価値を生み出す人材の輩出と、それを実現する教育・人材育成システムの実現が求められている。

だそうです。

そうですね、

「多様性」

「公正」

「well-being」

「探究」

「新たな価値」

と、どんどん夢(?)は広がっていくわけです、、、

Society 5.0

現状、一般的には「Society 4.0(情報社会)」にあるとされていますが、「教育・学習」「人材育成」の段階は、「Society」の進化段階でいうと、


いまだに、「Society 3.0(工業社会)」:工業時代です。


「教える」ことがメインの「工業時代」


「学習者中心」「学ぶ」ということが一部では徐々に広がってきている感はありますが、やはり全体的に見ると、ほとんど「工業時代」から進化していません。

勿論、データやシステム、オンライン等、手法やツールは「Society 4.0(情報社会)」になっています。


「Society」の進化と、「教育・学習」の進化の段階が違っている


ということです。


(Society 4.0)

コンピューターやインターネットの普及によって、世界のどこにいてもあらゆる情報を手に入れることができる「情報社会」。


取り巻く環境としては、「Society 4.0(情報社会)」になっていますが、「教育・学習」「人材育成」の段階としては「Society 3.0(工業社会)」から殆ど何も進化していないのです。日本の元号で例えると「昭和」です。

時代は、「昭和」→「平成」→「令和」と変わってきましたが、「教育・学習」「人材育成」の世界は「昭和」で止まったままです。


つまり、

 

「ハードウェア」の進化に「ソフトウェア」が追い付いていない

 

ということですね?

例えると、

 

今売られているPCにMS-DOSを載せている

 

ような感じですかね?


環境や世の中は「ハードウェア」中心に進化していきます。それは「Society 3.0(工業社会)」になった時点で決まっていたことです。


家、車、家電といった”モノ”を手に入れるために「昭和」に生きた人たちは身を粉にして働きました。


「学びたいコト」ではなく、「学べば得られるモノ」が優先された「昭和」は「平成」「令和」になっても変わっていないように思います。


医学部に入れば、東大・京大に行けば、、、という「ハードウェア」中心の思考「教育・学習」の進化を止めてしまっていますね?

ベーシックな知識ではなくて、すぐに売り上げにつながる情報だけを求める企業学習者も同様の思考です。


そういったことがモチベーションになることもわかりますし、別に悪いことではないとは思います。


ただ、「ハードウェア」に「ソフトウェア」が追い付く「環境」に「人の思考」が追い付くこと、、、それが「Society 5.0」の本来求めることですね?


曖昧なビジョンではありますが、「Society 5.0」が提唱されてもう8年が経ちます。これからでも遅くはないので(十分に遅いですが)

「人間中心の社会」を目指す

   ↓

「学習者中心の教育」を目指す

という方向に向かってほしいと思います。

といいながら、相変わらず世の中は「人間中心の社会」ではなくて「モノ中心の社会」に向かっているように思えますが、、、