ここ10年くらい(?)、「教員不足」だとか、「教師の成り手がない」とか、「学校はブラック」、、、というようなことが常に言われています。
そこで、今回は、「教員不足」について、少し考えてみます。
「教員不足」の原因については、2つの ” 目線 ” があり、互いの線はほとんど交わりませんね?
2つというのは、
・教員(教師)の目線
と、
・文科省(国)の目線
です。
では、その内容について見ていきましょう。
(教員目線の原因)
・低賃金
教員の給与が低いと、他の職業を選ぶ人が増え、教員の数が足りなくなる。
・過重な業務
教員は教えるだけでなく、生徒のカウンセリング、保護者との対話、行事の準備など、多岐にわたる業務を担当してる。これらの業務が過重になると、教員という職業を選ぶ人が減る。
・教員養成校の減少や規模縮小
教員養成校が減少したり、規模が縮小したりすると、新たな教員を養成する機会が減る。
・ワークライフバランスの取りにくさ
長時間労働や休日出勤が常態化していると、家庭との両立が難しくなり、教員を続けることが難しくなる。
(文科省目線の原因)
・産休・育休の増加
・特別支援学級の増加
・精神疾患による病気休職者の増加
これを見ると、毎夜、居酒屋でお酒を飲みながら交わされる「会社員の愚痴」や、「経団連のトップ同士の雑談」とほとんどレベルが同じですね?
「教員側」は当然のように、いかに自分たちの置かれている状況がブラックであるかを主張し、
「国や教育委員会、校長側」は、社会情勢や環境、教員自身の問題、、、であるように表現しています。
そして、解決策として、
・給与の引き上げ
・業務の見直し
・教員養成校の増設や規模拡大
・ワークライフバランスの推進
・「多様な専門性を持つ教職員集団の形成」
・小学校教員の免許を最短2年で取得できる教職課程を拡大
・教員採用試験の早期化・複線化 「地域教員希望枠」の新設
・人材確保に工夫を凝らす自治体と教育委員会
・民間経験者など外部人材の掘り起こし求める
どうでしょう?
あまりに胆略的で、「教育」とか「学習」とか「学習者主体」とかの考えは全く感じられず、唖然とします。
「問題」の捉え方が間違っているし、解決すべきは ” そこ ” ではないということに誰も気づきません。
「教員不足」を解消したいのであれば、現在の「学校内の構造」を変えなければなりませんよね?
その議論がどこからも出てこないので、単なる「愚痴」と「応急手当」のオンパレードになってしまいます。
勿論、100年以上も継続してきた「学校内の構造」を容易に変えることなどできないことはわかっています。
しかし、普段は、
「教育の本質が!」
とか、
「教育の質を!」
とか、
「本来の教育は、、」
などと仰っている、「インストラクショナルデザイン」や「教育・学習」理論を考えたり、書籍や論文を出していたり、アカデミアで研究しているはずの、” 先生様たち ” は、どうして ” 声 ” を上げないのでしょう?
・教育デザインを作成する(誰もが授業を行える)
(体育、音楽、アート等は除く)
・「ご講演座学」の授業をやめる
・レベル・スキル別クラスを編成する
・知識・スキルの伝達方式をやめる(教えない教育への転換)
・真正な「学習目標」を作成する
・「目標達成」すれば好きなことをやれる
・チームで教育を行う
・
・
・
いくらでも方略は考えられますよね?
冷静に考えて、「教員不足」になる最も大きな原因は、
「ご講演座学」=「授業」=「教育」
を行っているからでしょう?
「教壇に立って、教科書を読んでいる人」など不要、、、、
と、アカデミアが主張し続ければ、少しは変わっていくような気もしますが、その肝心なアカデミアの先生様たちが
「ご講演座学」=「授業」=「教育」
と捉えている人がほとんど(某先生談)なのでしょうね?
FD: Faculty Development なんていいだしてからも、何も変わっていないですから、、期待薄ですね、、、