今回は、” ID(インストラクショナルデザイン)を普及させる ~逆転の発想~ ” ということについて考えてみます。
通常、というより ”正論” として、
ID(インストラクショナルデザイン)は、”手段” であって、”目的” ではない!
と言われます。
まぁ、至極当たり前のコトですね?
しかし、そのあたりまえのコトを、あたりまえに伝えてきた結果、ID(インストラクショナルデザイン)は普及するどころか、今や衰退の一路を辿っているように私には思えます。
大森先生と鈴木先生が ”熊本大学” に ”教授システム学専攻” を作られた頃のことは書籍でしか知りませんが、おそらく、当時は世間的にもかなりのインパクトがあり、一定数の人々や企業にID(インストラクショナルデザイン)が認知されるきっかけとなったのではないでしょうか?
ところが、20周年を迎える前に・・・・・となり、
このところは、教育関連業者や、学会のホームページくらいでしかID(インストラクショナルデザイン)というコトバを目にすることがなくなりました。
X(Twitter)で、”インストラクショナルデザイン” で検索してみても、ほとんどヒットしませんね?
私的には、偶然知ったID(インストラクショナルデザイン)を10年近く勉強し、実践してみたりした結果、不変の理論ではありません(環境に合わせて教育・学習も変化していくので、当然ですが)し、やりようによってはデメリットがあったりもしますが、
ID(インストラクショナルデザイン)のベースがない”教育・学習”などありえない!
と思っています。
そして、現実に
「学習者に学習してもらう」=「教育」
ということは、本当に難しいことです。
私は、「メーガーの3つの質問」に感銘を受けて、今も「教育・学習」についていろいろと考えたり、学んだりしているのですが、
・Where am I going? (どこへ行くのか?)
・How do I know when I get there? (たどりついたかどうかをどうやって知るのか?)
・How do I get there? (どうやってそこへ行くのか?)
忙しい世の中、そういう人ばかりではないですね、、、
しかし、どうにか ID(インストラクショナルデザイン)を普及させる方略はないものか? といつも考えています。
鈴木先生がよく言われていたID(インストラクショナルデザイン)の普及方法に、
「ID(インストラクショナルデザイン)というコトバを使わずに、最終的に成果をだしたら、これはID(インストラクショナルデザイン)というんです、、」
と明かす、というのがありました。
はじめてそれを聞いた時は、
「なるほど!」
「確かに!」
「流石だ!」
と思ったものです。
しかし、それは私のようなID信者(?)になった人間にだけ響くことで、世間様には聊かインパクトが弱すぎたように思うのです。
そこで、「逆転の発想」です。
ID(インストラクショナルデザイン)は、 ”手段” であって、”目的” ではない!
ではなくて、
ID(インストラクショナルデザイン)が、”目的” である!
と変えてみるのはどうだろう? と思っているのです。
とにかく、「ID」「ID」「ID」「ID」「ID」「ID」と、何かにつけて「ID」というコトバを連発する!
それで、
「IDって何?」
「DXと同じようにIDが目的!」
という方略の方が、今のトレンドに振り回される世の中ではいいように思うのです(正論では勿論ないし、そんなことまでしなくても、、、とは誰もが思うでしょうが、、、)。
旧日本的に、「でしゃばらない」「品をもって」「控え目」なんてやっていたら、おそらく近いうちに、ID(インストラクショナルデザイン)は日本から消えて無くなってしまう、、、くらいの危機感を持っています。
工業時代→情報時代→AI時代、、、に「”効果的” で ”効率的” な学び」を届けたいですね、、、