louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「先生のプライド」について ~ 先に生まれただけなのに ~

新学期が始まり、毎年のように「教える人の愚痴」SNSで山のように湧いているので、「先生のプライド」について考えてみます。


「先生」と書きましたが、小中高の教諭大学の教授などの「教える人」の総称と思ってください。


こういった職種の人たちは、医者政治家弁護士などと同じように、


「先生」

と呼ばれます。


英語だと「Teacher」ですが、「〇× Teacher」とは呼びませんよね?

普通に、「Mr.〇×」とか、ファーストネームで呼ぶことも多いように思います。

 

まぁ、逆に教授には「Professor」医者Ph.Dを持ってる人には「Doctor」をつけるので、文化の違いといえばそうなのですが、、、


この国は明治、いや江戸時代から令和の現在まで、

 

「教える人」=「先生」

 

であり、小中校では「先生」「先生」「先生」、、、

 

大学でも「教授」にはさすがに「〇△教授」と呼びますが、准教授講師などには「先生」を使いますね、、、

 

そして、たちの悪いことに、「教える人」たち同士でも

 

「〇◇先生の論文は、、、」

とか、

「△×先生、、部活指導お願いしますね、、」

のように「先生」と呼び合う気持ちの悪い状況です。


その昔、「先に生まれただけの僕」というドラマがあり、このドラマの意図したように「先生」というのが「先に生まれた人」という意味で使っているのであれば全く問題はないようにも思うのですが、、、、

先生

話しはまたも逸れますが、このドラマの中でインストラクショナルデザインの本がちらっと映り、インストラクショナルデザイン」がバズったことがありました(それに便乗できるアクティブな人たちがいなかったため、一瞬の瞬きで終わってしまいましたが、、、)。


しかし、現在、過去、未来(?)「先生」として使われるのは、


「先に生まれた人」


ではなく、


「尊敬する恩師」とか、「偉い人への敬称」


となっていますね。


学校で「〇×先生」と呼ばれ続け、やがて下らない ”プライド” が生まれてくるわけです。

会社での役職と同じですね? 課長部長に昇進した途端、昨日まで言ってたこととまるっきり逆のことを独裁的にやりだしたり、天狗になる人がいます。

 

昔は、

「役職が人を作る」

などと言われ、「管理職」になると未熟な人でも「役職」に似合った言動をとるようになり、成長する、、、みたいなコトを信じる人もいましたが、、


「先生」「先生」と呼ばれているうちに、


「自分は生徒・学生よりも偉いんだ」

「知らないことを、教えてやってる・・・」

「どうでもいいことを訊いてくるな・・・」


みたいになります。

 

そうなると、もはや「教育・学習」が何たるか? などは考えませんし、学ぼうともしません。


いくら巷で「学習者主体」とか「アクティブラーニング」とか言われても、


「自分が先生」


という ”プライド” ”マインド” から全否定していきます。


そして、永遠に「ご講演座学」をやって自己満足するわけです。

 

自分の方法が最善であると信じ込んでしまい、生徒、学生や他の教育者からのフィードバックも無視し、

KKD(「経験」、「勘」、「度胸」)

で、「先生のプライド」を守ろうとするわけです。

こういったプライドを持ってしまった「先生」は永遠に変わりません。

教頭になり、校長になっても変わりません。


”学校というシステム”「構造」が変わらない狭い世界で生涯生きていくわけです。

 

その「構造」が変われば、「先生のプライド」は崩壊するでしょうが、現状では難しいですね?


この国の「先生」という概念が大きく変わればいいのですが、それよりもう「先生」と呼ばせたり、呼び合うのをやめた方がいいと思うのですが、、、