インストラクションをデザインしたり、テスト問題を作る際に、昔からよく引用される理論(?)に、「覚醒ポテンシャル(Arousal Potential)」がありますね?
「人間は単純過ぎるものには快感を感じないが、複雑すぎるものには不快感を感じ、その中間に快感を最大にする覚醒ポテンシャルが存在する」
というものです。
心理学者のダニエル・ベルリーンによって有名になった理論です。
(覚醒ポテンシャル(Arousal Potential))
個々の人間が特定の刺激に対してどれだけ強く反応するかを示す指標で、社会心理学やパーソナリティ心理学の分野で使用される概念。ハンス・ユルゲン・アイゼンクの性格理論にも影響を与えている。
覚醒ポテンシャルは、個々の人間が持つ内的な状態や反応の度合いを表すもので、これが高いほど、感情的な反応や物理的な反応が強くなる。逆に、覚醒ポテンシャルが低い人は、同じ刺激に対しても反応が鈍い傾向にある。
覚醒ポテンシャルが高い人は、音楽や映画などの芸術作品に対して強い感情的反応を示すことがある。また、恐怖や驚きなどの強い感情を引き起こすような刺激に対しても、覚醒ポテンシャルが高い人は強く反応する傾向がある。
覚醒ポテンシャルは、個々の性格や行動パターンを理解する上で重要な要素であり、性格心理学や社会心理学の研究においては、覚醒ポテンシャルを測定することで、人間の行動や感情反応の違いを説明することが可能となるとされる。
ということです。
単純な内容は、覚醒ポテンシャルをあまり刺激せず、学習者の注意や興味を引くことが難しい。
つまり、内容が単純すぎると、学習者は新しい知識を得ることに対する動機付けが低下し、内容の理解や記憶に影響を及ぼす可能性があるということです。
また、複雑すぎる内容は、覚醒ポテンシャルを過度に刺激し、学習者を圧倒する可能性があります。
よって、内容が複雑すぎると、学習者は内容を理解し、記憶に結び付けることが難しくなる可能性があります。学習者が新しい内容を処理し、それを既存の知識構造に統合するための認知的な能力を超えてしまうということですね?
こういったことをことを、何も考えずに、
「内容は単純すぎず複雑すぎない」、つまり「中間のレベルであることが理想的」という風になってしまうわけです。
教師、塾講師、企業内教育担当者の多くは「覚醒ポテンシャル(Arousal Potential)」という言葉は知らなくても、「内容は単純すぎず複雑すぎない」を基本にしていると思います、、、、。
このことは、
「間違いか?」
といわれると、
「間違いではないけれど、その対象が違っている」
ということを理解しているでしょうか?
していないですね、、、、、きっと。
誰もが信じてしまうように「覚醒ポテンシャル(Arousal Potential)」はかなり説得力のある説ですし、多くの人が感覚的に「そんな気がする」と思います。
では、何が間違っています?
それは至極あたりまえのことです。
対象が「人間」であるということです。
「覚醒ポテンシャル(Arousal Potential)」は「人間」に対する説です。
人間は機械と違って、すべて違うわけです。
一人一人、「覚醒ポテンシャル(Arousal Potential)」のレベルは違います。
それと同じで、一人一人、「知識・スキル」のレベルも違います。
よって、何も診断せずに、40人の人を集めて、教授側の適当な判断で、「単純すぎず複雑すぎない」学ばせたい内容を決めることが、大間違いだということです。
これは、インストラクショナルデザインでいう、「診断テスト」「前提テスト」「事前テスト」でレベルごとに分けずに、全員に「単純すぎず複雑すぎない」、、、、、ということになってしまっているため、ほとんど意味のない授業、インストラクション、テストになってしまうということです。
事前にレベルを合わせた人のグループが対象で、「覚醒ポテンシャル(Arousal Potential)」を信じて「単純すぎず複雑すぎない」内容で行うのであれば、全く問題がないということです。
ほんの少し立ち止まって考えれば、誰でもわかることなのですが、、、、ほとんどの人が立ち止まらず、考えず、、、、、というのが、残念ながら今の教育ですね、、、、。