「学習」する「環境」を整えることが非常に大事であるということがよく言われます。
「学習環境デザイン」とは、
学習者を「能動的に学ぶ存在」として捉えながら、学習環境を「活動」「空間」「共同体」「人工物」という4つの要素に分解し、それぞれを結びつけながらデザインしていく考え方。
(学習環境デザインの4要素)
・空間:どんな場所・空間で学ぶか
・人工物:どんな道具や素材を用いて学ぶか
・活動:どんな活動・経験から学ぶか
・共同体:どんな人と、どんな関係性で学ぶか
こういったことは、ジョン・デューイの頃から考えられ、実施されていますね?
確かに、「学ぶ環境」は学習の「効果」「効率」「魅力」に大きく影響してきますから、「デザイン論」が生まれることも理解できます。
上記の要素のほかにも、4原則なるものがあり、
・学習者中心
・知識中心
・評価中心
・共同体中心
といった視点もあります。
こういった「学習環境」を作るのは、親、教師、学校、国、企業です。
そして、余程の昭和的感覚を持った人や組織でなければ、快適に学ぶ環境を提供してあげたいと考えることでしょう。
ところが、実際に上記のような要素や原則を考慮して、学習環境を作成し、学習者に提供したとしても、提供しなかった学習者と比べて大した差はでないように思います。
SAPIX・鉄緑会→東大 みたいに、親にお金が無ければ実現できない環境もあります。
では、SAPIX・鉄緑会 という環境を整えたからといって、全員が東大に合格するというわけではないですね、、、学校でも、開成、灘、、の全員が東大に合格はしません(行きたいと思っていたとしても)。
こういった塾や学校は、上記の要素の「空間」「共同体」にあたりますね?
優秀な人たちと一緒に学べば優秀になる?
偏差値の高い学校に行けば優秀になる?
そんなことはマヤカシのように思います。
「空間」にあり、「共同体」に属しているから学ぶわけではないですね?
「人工物」は、わかりやすい例だと最近のICTを教育に、、というやつですね?
そして「活動」は、経験学習、、アクティブ・ラーニング、OJTみたいなモノでしょうか?
何となく、「環境」に注目することが少し安易で、胆略的だと感じるのです。
そうではなくて、「教育・学習自体のデザイン」を重視するべきだと思います。
鈴木先生が以前発表された「学習環境設計10箇条」というのがあります。
①講義と期末試験をやめる(反転授業・学習)
②再利用できるものをつくる(教材シェル:LO)
③くすぐってその気にさせる(教えない授業)
④体験を次に伝える仕組みをつくる(ランチョン)
⑤学習者の文脈を想像する(ユースケース)
⑥現場で組み立てる(オーダーメイドの教育)
⑦手ぶらでは集めない(アクティブラーニング)
⑧今までの要素を再定義して一つだけ付け加える
⑨やるべきことをやる(Practice What You Preach!)
⑩常に最先端の実験場たれ(率先垂範)
これは「学習環境設計」と名付けられていますが、実際には「方略デザイン」ですね?
こういったことの方が10000倍重要だと思います。
(学習環境デザインの4要素)というのは、「教える側」の論理だということです。
環境を整えることは確かに「教える側」の問題です。良いにこしたことはないでしょう。
しかし、それと「教育・学習」は別物のような気がするのです。