アンドラゴジー(Andoragogy)と ペタゴジー(Pedagogy)って、一時よく聞きましたよね?
これも、教育業界においては数ある「トレンド」の一つです。
アンドラゴジー(Andoragogy):ギリシャ語の成人(aner)と指導(agogus)を組み合わせた造語
ペタゴジー(Pedagogy):ギリシャ語の子ども(paid)と指導(agogus)を組み合わせた造語
で、つまり、大人と子供は心理的な面で大きく違うから、子供と同じように教育してもダメで、大人の特性を考えた教育をしましょう! という考えです。
そう言われれば、確かに「大人と子供は考え方も違うし、経験も違うよなぁ~」って誰もが考えてしまって、すっかり「トレンド」になったわけです。
心理学的にはもちろん正論で、その研究が進むことはわかります。しかし、ここで問題なのは、教育業界においては「トレンド」として受け入れられやすいように「ステレオタイプ」をつくってしまったことです。
「ステレオタイプ」というのは言い過ぎかもしれませんね、、では、教育業界が認識する「アンドラゴジーの概念」を記しましょう。
(自己概念)
「自分がどんな人間であるか?」という問いかけに対して、自身が持っている考え。
「自分のことは自分で管理できる」という自己概念。
教育者が一方的に情報を発信するだけの教育や、教育者が作り上げたものをただ受けるだけの教育では、学習者の持つ「自分のことは自分で管理できる」という自己概念との間に抵抗感を生む可能性がある。成人学習の場合は、学習者が主導だということを認識してもらえるように設計していく。ペタゴジーの場合は、「自分のことは自分で管理できる」という自己概念が弱く、より依存的な学習者を前提に置いている。一般的な学校教育では受動的な学習が基本。
(経験)
生きた年数が長ければ長いほど、それと比例して人生の経験値は大きくなっていく、そのため成人教育では、それぞれが獲得してきた経験があることを前提に置き、それらを利用することで学習をより効果的にできる。ペタゴジーの場合は、持つ経験の量が少ないため、経験の活用にはあまり価値がない、もしくは活用できない。
(レディネス)
「何かを学習する際に必要となる条件や、心身の準備、環境などが整っており、学習の準備ができている状態」。アンドラゴジーのレディネスでは、社会的な役割、職業や役職、職位にフォーカスして学習者の課題を捉えることがポイント。ペタゴジーの場合は、年齢やカリキュラムにフォーカスすることがポイント。心身の成長は個人によって多少の差があるが、年齢によってある程度同じ成長度のグループを構成できるという考え。
(方向付け)
「なんのために学習するのか」という学習の目的に関する観点。学んだ知識やスキルを活用・応用することで、直近の課題を解決することを目的とする学習者が多くなる。学習者の目的をしっかりと捉え、そこから逆算して学習を設計することが重要なポイント。ペタゴジーの場合は、「教材の内容を理解する」「テストでいい点を取る」といったことが主な目的。実際の生活での活用は目的にあまり含まれない。
(動機付け)
「成人の学習者は、外発的動機よりも内発的動機に基づいている」という前提。内発的動機付けとは、興味・関心・趣向・願望といった人の内側にあるものによる動機付け。外発的動機付けとは、お金や報酬、罰則、叱責といったアメとムチによる動機付け。ペタゴジーの場合は、「テストでいい点を取ってゲームを買ってもらえる」ことや、「先生や親に叱られない」ことといった、外発的動機から学習に参加することが多い。
どうでしょう?
これって、大人と子供の差というより「単なる個人」の「差」だと思いませんか?
特に、「アイデンティティ」「メタ認知」的なことや「モチベーション」については、大人だから子供だからというのは間違ってますよね?
今の子供(?)をほんとに知ってたら、こんないい加減な理論はでてこないはずだなぁと思っています(理論自体が古いのもあるでしょうが)。
その辺りの個々の内容については、また記してみたいと思います。