louribot’s blog

学習成果の出る企業内教育(教育全体)についての考察を語ります

「Society」と「教育・学習」進化の相違について

このところ、”「人間中心の社会」を目指す” というコトバがやたらと叫ばれるようになりました。

 

これは国が打ち出している「Society 5.0」の影響が大きいですね?


ということで、今回は、”「Society」と「教育・学習」進化の相違 ” について考えてみます。


・狩猟社会(Society 1.0)

・農耕社会(Society 2.0)

・工業社会(Society 3.0)

・情報社会(Society 4.0)

 

の後に来るのが、


「Society 5.0」

だそうです。


(Society 5.0)

第5期科学技術基本計画(平成28年1月22日閣議決定)において、「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」としてSociety 5.0が初めて提唱された。

第5期科学技術基本計画で提示した Society 5.0の概念を具体化し、現実のものとするために、令和3年3月26日に閣議決定された第6期科学技術・イノベーション基本計画では、我が国が目指すべきSociety 5.0の未来社会像を「持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」と表現している。

我が国が目指すべき未来社会の姿。

「人間中心の社会」を目指し、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)などの先端技術を活用して、社会課題の解決や生活の質の向上を図ることを目指す。

具体的には、ヘルスケア、モビリティ、インフラ、物流、製造業など、さまざまな分野でデータやAIを活用し、それぞれの個人や組織が自由で豊かな社会生活を送ることができるような社会の実現を目指している。


とのことです。


目標ビジョンが混同していて、流石に ”お役所仕事” だなぁ、という感想は否めないですが、、、


まぁ、それは置いておいて、「教育・学習」「人材育成」の分野で考えてみると、

 

・「多様性」「公正や個人の尊厳」「多様な幸せ(well-being)」の価値がSociety 5.0の中核であることを踏まえ、社会全体で教育・人材育成政策を推進すべく取組を進めている。

・自ら課題を発見し解決手法を模索する、探究的な活動を通じて身につく能力・資質が重要。世界に新たな価値を生み出す人材の輩出と、それを実現する教育・人材育成システムの実現が求められている。

だそうです。

そうですね、

「多様性」

「公正」

「well-being」

「探究」

「新たな価値」

と、どんどん夢(?)は広がっていくわけです、、、

Society 5.0

現状、一般的には「Society 4.0(情報社会)」にあるとされていますが、「教育・学習」「人材育成」の段階は、「Society」の進化段階でいうと、


いまだに、「Society 3.0(工業社会)」:工業時代です。


「教える」ことがメインの「工業時代」


「学習者中心」「学ぶ」ということが一部では徐々に広がってきている感はありますが、やはり全体的に見ると、ほとんど「工業時代」から進化していません。

勿論、データやシステム、オンライン等、手法やツールは「Society 4.0(情報社会)」になっています。


「Society」の進化と、「教育・学習」の進化の段階が違っている


ということです。


(Society 4.0)

コンピューターやインターネットの普及によって、世界のどこにいてもあらゆる情報を手に入れることができる「情報社会」。


取り巻く環境としては、「Society 4.0(情報社会)」になっていますが、「教育・学習」「人材育成」の段階としては「Society 3.0(工業社会)」から殆ど何も進化していないのです。日本の元号で例えると「昭和」です。

時代は、「昭和」→「平成」→「令和」と変わってきましたが、「教育・学習」「人材育成」の世界は「昭和」で止まったままです。


つまり、

 

「ハードウェア」の進化に「ソフトウェア」が追い付いていない

 

ということですね?

例えると、

 

今売られているPCにMS-DOSを載せている

 

ような感じですかね?


環境や世の中は「ハードウェア」中心に進化していきます。それは「Society 3.0(工業社会)」になった時点で決まっていたことです。


家、車、家電といった”モノ”を手に入れるために「昭和」に生きた人たちは身を粉にして働きました。


「学びたいコト」ではなく、「学べば得られるモノ」が優先された「昭和」は「平成」「令和」になっても変わっていないように思います。


医学部に入れば、東大・京大に行けば、、、という「ハードウェア」中心の思考「教育・学習」の進化を止めてしまっていますね?

ベーシックな知識ではなくて、すぐに売り上げにつながる情報だけを求める企業学習者も同様の思考です。


そういったことがモチベーションになることもわかりますし、別に悪いことではないとは思います。


ただ、「ハードウェア」に「ソフトウェア」が追い付く「環境」に「人の思考」が追い付くこと、、、それが「Society 5.0」の本来求めることですね?


曖昧なビジョンではありますが、「Society 5.0」が提唱されてもう8年が経ちます。これからでも遅くはないので(十分に遅いですが)

「人間中心の社会」を目指す

   ↓

「学習者中心の教育」を目指す

という方向に向かってほしいと思います。

といいながら、相変わらず世の中は「人間中心の社会」ではなくて「モノ中心の社会」に向かっているように思えますが、、、

「マルチメディア教材デザインの7原理」の前に ~ e-Learning ありきの教育・学習への苦言 ~

21世紀になってすぐに、リチャード・E・マイヤーが提唱した「マルチメディア教材デザインの7原理」が話題になり、e-Learning を行う際の基本概念のように扱われたことがありました。

今でも e-Learning業者などでは結構自慢げに話す人たちもいます。


ということで、今回は ”「マルチメディア教材デザインの7原理」の前に”  をテーマで考えてみます。


(マルチメディア教材デザインの7原理)

 

マルチメディア教材デザインの7原理は、教育学者であるリチャード・E・マイヤーが提唱した教材設計に関する理論。

インタラクティブな学習環境を作るためのガイドラインとなっており、学習者が情報を効果的に理解、記憶、適用できるようにすることを目指している。


1.マルチメディア原理(Multimedia Principle) 

テキストだけではなく、画像や音声などを組み合わせたマルチメディアを使用することで、学習効果が高まる。


2.空間近接原理(Spatial Contiguity Principle) 

関連するテキストと画像は、物理的に近くに配置することで、学習効果が高まる。


3.時間接近原理(Temporal Contiguity Principle) 

関連するテキストと画像は、時間的に同時に提示することで、学習効果が高まる。


4.首尾一貫原理(Coherence Principle) 

余計な情報は排除することで、学習効果が高まる。


5.モダリティ原理(Modality Principle) 

視覚情報に対しては音声を、音声情報に対しては視覚を用いることで、学習効果が高まる。


6.冗長性原理(Redundancy Principle) 

画像と音声だけで情報を伝え、同じ内容のテキストを追加しない方が、学習効果が高まる。


7.個人差原理(Individual Differences Principle) 

学習者の知識レベルや能力に応じて教材を設計することで、学習効果が高まる。


これらの原理を適切に組み合わせて使用することで、学習者は新しい情報をより深く理解し、長期記憶に保存し、新しい状況に適用することが可能となるという説ですね?

e-Learning が出始めた頃の理論ですから、こういった指針は必要だったのだと思いますし、事実何も考えずに e-Learning よりはマシだったのだとは思います。

マルチメディア教材デザイン

しかし、この原理を使って実際に e-Learning を行っていくうちに様々な意見も出てきました。


・ユニバーサルな原則ではない

マルチメディア教材デザインの7原理は総じて有効だが、全ての学習者や全ての学習環境に適用できるわけではない。学習者の個々の差や学習の文脈を考慮する必要がある。


・テクノロジー依存

これらの原則はテクノロジーを前提としているが、全ての学習者や教育機関が必要なテクノロジーを持っているわけではない。テクノロジーを適切に使用するスキルも必要。


・過剰なシンプル化

コヒーレンス原則や冗長性原則のように、情報をシンプルにする原則は、複雑な概念や問題を適切に表現するのを難しくする可能性がある。


・学習者の能動性の欠如

これらの原則は教材の設計者が中心となっているため、学習者が能動的に学習することを妨げる可能性がある。


みたいな感じです。

まぁ、テクノロジーと少しの心理学と、ほんの少しの教育・学習関連の内容です。


私的には、「学習効果が高まる」がテーマの「マルチメディア教材デザインの7原理」ですが、


・視覚情報に対しては音声を、音声情報に対しては視覚を用いる

・画像と音声だけで情報を伝え


は、逆に「学習効果が下がる」ような気がします。

人間の認知機能はパラレルで、足し算にはなりませんし、受動的な「ご講演座学」と同じだと感じるからです。


「マルチメディア教材デザインの7原理」商売に使った e-Learning業者によって、「e-Learning ありきの教育・学習」が蔓延する結果となってしまいましたね?


確かに、e-Learning が有効なツールとなることはあります。

 

しかし、99%の学校、塾、企業における e-Learning の採用は、「経費削減」だけが根本にあります。

 

そこに”愛”は、、ではなく、”教育”も”学習”もありません。


e-Learning効果的な学習につながるかどうかは、二の次になっている現状で、いくら「マルチメディア教材デザインの7原理」を使ってLMSやコンテンツを作ったところで、意味はないと思うのです。


鈴木先生がよく言われることですが、

・まず、e-Learning(LMS) でやる必要があるのか?

を考えることが完全に抜けていますね、、、(と言いながら、鈴木先生も著書の中で「マルチメディア教材デザインの7原理」を紹介しているのですが、、、)。

「シミュレーションへの過大評価」について

今回は、「シミュレーションへの過大評価」について、少し考えてみます。


最も適用されている分野としては「医療」分野ですね?


全世界的に、医師や看護師といった ”命を左右する” 職業の教育では、”シミュレーション”を含んだ教育が提供されます。


また、一般企業においてもロープレプレゼンの練習など ”シミュレーション” が用いられます。


インストラクショナルデザインの考えの中でも、”シミュレーション” は重要なファクターとされていますし、「SAMモデル」などは ”シミュレーション” がその中心的な役割を果たしますね。


私的にも、


・医療現場で適用されているのだから、間違いなく効果がある

・実際の現場に出る前の準備として必要(練習)

・”シミュレーション”を行うことにより新たな視点が養える


みたいに漠然と考えていて、これまでのデザインの中でも ”シミュレーション” を盛り込んでいたりしました。


しかし、今更ですが、

 

”シミュレーション”  を教育に盛り込むことは、どれほど有効なんでしょうか?

 

という疑問がふと浮かんできました。

シミュレーション

ということで、

「シミュレーション教育」とその「弊害」について少し調べてみました。


(シミュレーション教育)


”シミュレーション” を基盤にした教育は、実世界の状況や環境を模倣し、学習者が特定のスキルや知識を獲得、理解、応用するための教育手法。特定の状況やタスクの再現に使用され、教育者が学習者のパフォーマンスを観察し、フィードバックを提供できる環境を提供する。

医学、航空、軍事、教育など、さまざまな分野で採用されている。医学学生は、患者との対話、診断の立案、治療法の実施など、実際の医療環境を模擬した”シミュレーション”を通じて学習する。


メリットデメリットについては、


(メリット)


・実践的な経験を提供

教室の中で学んだ理論を実際のシナリオで適用する機会を提供する。学生は新しい概念を理解し、それを実際の状況にどのように適用するかを学ぶ。


・安全な環境での学習

実際のリスクなしに危険な状況を体験できる安全な学習環境を提供する。これは、医療、航空、軍事などの分野で特に有用。


・フィードバックと評価

学生のパフォーマンスをリアルタイムで評価し、直接フィードバックを提供する能力を持っている。学生は自分の理解度を確認し、必要な改善を行うことができる。


・自己学習と再学習

学生は自分自身のペースで学習し、必要に応じてコンテンツを再学習することができる。


・問題解決と意思決定のスキル強化

学生が問題解決と意思決定のスキルを強化するのを助ける。実世界の状況に対応する能力を向上させる。


(デメリット)


・高コスト

”シミュレーション技術”は、設備投資、ソフトウェアライセンス、維持費など、高い初期コストや維持コストを伴う場合がある。


・技術的な問題

技術的な問題に遭遇する可能性がある。ソフトウェアのバグやハードウェアの故障などが含まれる。


・制限された現実感

現実を模倣するが、全ての要素を正確に再現することはできない。特定の状況や環境を完全に理解するのを困難にする可能性がある。


・学習曲線

”シミュレーションソフトウェア”を理解し利用するためには時間と訓練が必要。技術に不慣れな学生にとっては難しい。


・依存

”シミュレーション”が教育の主な方法となると、学生がリアルな状況や人間との対話に対応する能力を欠く可能性がある。対人スキルや現実世界の経験が重要な職業にとっては特に問題となる。

 

上記の内容を冷静に考えてみても、確かに「メリット」はかなりあると思います。

特に医療分野では無くてはならないモノでしょうね?


ただ、場合によっては「デメリット」が勝ってしまうことも多いのではないかということが、想定できます。


恐らく、最も注意しないといけない点は、


・シミュレーションを信用しすぎない

ということと、

・シミュレーションと「実際の経験」とは別モノ


という意識の必要性ではないでしょうか?


教育や研修で ”シミュレーション” を行うと実際の場面でも ”シミュレーション” で行ったことやそのままの言動知識・スキルを適用する人がほとんどのように感じます。


そうやって学び、練習してきたのですから、当たり前のことですね?


それで上手くいく場合が多いとは思いますが、逆に大変なことになる場合もあるのではないか、、、、? と思ったりします。


”シミュレーション” を無くせばいい、少なくする、、ということが言いたいのではなく、


”シミュレーション” はあくまで ”シミュレーション”


なので、現状のように ”シミュレーション教育” を受けたから大丈夫、”ロープレ練習” を徹底的にやったから即戦力、、、のような風潮は少し違うのではないか、、、と感じるのです。


まだまだ理解している人が少ないので何度も記しますが、


カークパトリックの教育評価で、

 

”シミュレーション” による練習やロープレの成果を

ー Level 3(行動変容)ー

と捉える人が多いですが、

現場で実際に行えてはじめて Level 3(行動変容)ですから、、、


”シミュレーション” ”ロープレ” の評価は、

あくまで、 Level 2(学習)ー です。

 

とにかく、前提である「知識・スキル」を徹底的に習得し、その上で、”現場とは違う” という認識を持って ”シミュレーション” を行うことが重要ではないか、、と思うのです。

「Coursera」の努力?

ニュースで、

 

Coursera、4,400の講座を日本語に翻訳し、日本の学習者に向けた新しいAI機能を導入」

 

というのが流れてきました。

 

今回は、MOOCsの根本的な弱点」について再考してみます。


何度も記していますが、


「オンライン教育 ”最大の” 失敗事例」


であるMOOCs(Massive Open Online Courses)」の代表格である「Coursera」が、まだ粘ろうと”努力(?)”しているようです。


MOOCsといえば、今でも「Coursera」「edX」ですね?

No MOOCs

「Coursera:コーセラ)

スタンフォード大学コンピュータサイエンス教授アンドリュー・ンとDaphne Kollerによって創立された教育技術の営利団体。世界中の多くの大学と協力し、それらの大学のコースのいくつかを無償でオンライン上に提供。


「edX:エデックス」

マサチューセッツ工科大学ハーバード大学によって創立されたMassive open online courseのプラットフォームであり、世界中の学生に無償で、多岐な分野にわたる大学レベルの授業を提供。両大学がそれぞれ3千万ドルをこの非営利のプロジェクトに貢献。

 

コロナ禍で「在宅勤務」などが増えたことと、「リスキリング」というビジネストレンドも相まって、MOOCsを受講する人も増えたようです。


そこで、どうにか、、、と考えて「翻訳」「AI機能(?)」ということを考えたのでしょうが、、、


根本的な「MOOCs」の弱点が克服されなければ、ジリ貧のままでしょうね?


「Coursera」「edX」ともに「無料」で受講できるコンテンツもあるにはありますが、概ね有料です。

 

その金額に見合ったベネフィットが無い、、という ” 弱点 ” を克服するには、大きく構造を変える必要があるということに気づいていないようです。


また、それ以外にも、

・自己管理能力の不足

MOOCsは自己学習型のプラットフォームであるため、自分自身で学習計画を立てて進めていく能力が求められる。これが不足していると、途中で挫折してしまうことが多い。


・モチベーションの低下

オンラインの学習は対面の授業と比べて、生徒同士のコミュニケーションが少なく、競争心を持つことが難しいため、モチベーションを保つことが難しいという問題がある。


・コースの質

コースの内容が難しすぎる、または退屈であると、学習者は途中で飽きてしまいがち。


・時間の制約

MOOCsは柔軟な学習スケジュールを提供しているが、他の生活や仕事の課題と並行して学習することは難しく、時間の制約から途中で脱落することがある。

 

・技術的な問題

すべての学習者が十分なインターネット接続やデバイスを持っているわけではない。これらの技術的な問題も修了率を下げる要因となり得る。


・サポートの不足

学習者が困ったときに適切なサポートが得られないと、学習を進めることが難しくなる。MOOCsは大規模な参加者を対象としているため、個々の学習者に対するサポートが不足しがち。


といったこともあります。


「Coursera」だと、

料金は月払いの場合は月額59ドル(約7,000円)、年払いの場合は年額399ドル(約48,000円)。

>有名大学の単位と学位が取得できるコース
平均受講時間    4~7か月
費用    2,000ドル~(約240,000円~)


>有名大学の学士号と修士号
平均受講時間    2~4年
費用    9,000ドル~(約1,080,000円~)


この金額と時間に見合ったベネフィットは、、、と考えると、修了率が数パーセントという結果は容易に想定できますよね?


実際の大学に通って学位、マスター、ドクターを獲るのと、

オンラインで学位、マスター、ドクターを獲ることは

世間では「全く別モノ」として認識されています。


例え同じ知識・スキルを習得できたとしても、「オンライン」ということだけで評価されない世の中です。


日本でも、いくつかのオンライン大学が生まれ、また先駆者としては熊大教授システム学専攻がありました、、、、(まだ名目上、あることはありますが、、、、)。


「オンラインでMITの学位を取りました」

と言っても、

「はぁ? 、、オンライン、、、」


で、終了ですね。

 

こういった偏見は日本に限ったことではなく、アメリのテレビドラマを観ていたら、

「マイケル弁護士さん、大学はどちら? ハーバード?」

「いえ、〇△大です」

「〇△大? 聞いたことないわ」

オンライン大学です、、、

・・・・・(笑)

みたいなのがあって、やはり同じ価値観なんだと思いました。


資格、知識、スキルに差があるのならわかりますが、そうではなくて、

オンラインという「偏見と不条理」を解消しないかぎり、

MOOCs」に未来は無いと思います。


まともに「教育・学習」を学び、考えている人なら、


・実際に通う大学

ミネルヴァ大学(寮形式、オンライン授業)

・オンライン大学

 

何の ”差” もないことは理解できますが、全世界の99%の人には同じではないということです。

「GROWモデル」の対象者について

今回は、スターバックスなどが社内教育制度に取り入れて有名になった「GROWモデル」について少し考えてみます。


GROWモデルは、1980年代にビジネスコーチとして知られるジョン・ウィットモアによって考案。競技スポーツの経験から、ビジネスコーチングの手法として考えられたものです。


「Coaching for Performance」で紹介され、世界中のビジネスや教育の現場で広く用いられるようになりましたね?

GROWモデル

まぁ、これまで紹介してきた「目標達成のため」のいくつものモデルとの大きな差はないのですが、一応、名称くらいは知っておいても損はないかと思います。


(GROWモデル)

コーチングや目標設定に用いられるフレームワークで、Goal(目標)、Reality(現状)、Options(選択肢)、Will(意志)の4つのステップから成り立っている。


・Goal(目標)

具体的な目標を設定。目標はSMART(Specific、Measurable、Achievable、Relevant、Time-bound)であるべき。


・Reality(現状)

現在の状況を評価。自分がどこにいて、何が問題であるかを理解することが重要です。現状を正確に理解することで、目標達成のために何をすべきかが明確になる。


・Options(選択肢)

可能な選択肢や行動を考える。目標達成のためのさまざまな戦略や手段を考え、それぞれの利点と欠点を評価する。


・Will(意志)

具体的な行動計画を作成し、それを実行する意志を確認。選択したオプションに対するコミットメントを確立し、それを達成するためのステップを明確にする。


どうでしょう? 各内容についてはインストラクショナルデザインでも、その他のビジネスフレームワークでも同じようなことですね?


例の「理想」と「現状」の「ギャップ」を埋める、、、というやつです。


しかし、結構問題なのはフロー(流れ)です。


Goal(目標)→Reality(現状)→Options(選択肢)→(意志)


元々が、パーソナルなコーチングからの発想でしょうから、「目標」が決まっていて、、、ということなのでしょうが、これでは一般的な企業内教育や研修には向かないように思うのです。


通常は、まず


・「現状」と「なぜそうなっているのか?」を分析して、

    ↓

・さて、では「どうなりたいか?」


というプロセスを辿ります。


しかし、


大谷選手が「年間60本のホームランを打ちたい」


というGoal(目標)から始まるのがGROWモデルということです。

いかにもスポーツコーチ的発想です。


インストラクショナルデザインでも、「理想(Goal)」から始める人がたまにいますが、これでは上手くいきませんよね?


分析(Analysis)には「目標」「理想」も当然含まれますが、「現状」の確認と、その環境や状況の分析がまずは最初です。


「目標」が最初から決まっていたり、わかっているのなら、

それほど楽なインストラクションはありませんよね?


このあたりは何でも「問題」「問題」と言っていた、「問題解決」の大ブームの影響も大きいと思います。


GROWモデルは、

コーチン

・コンサル業務

くらいで成り立つ方略ではないかと思います。


この方略を、チームマネジメント、自己啓発、個人の成長、業務遂行などが目的の「企業内教育」や「研修」に取り入れるのは相当なムリがあるように思います。


GROWモデルに適している ” 対象者 ” は、


・自己改善やパーソナルデベロップメントに興味がある人

自己洞察力を深め、自分自身の目標や選択肢を明確にするためのフレームワーク。自己改善やパーソナルデベロップメントに興味がある人に適している。


・明確な目標を持っている人

目標設定を重視。明確な目標を持っている人、または目標を設定するための手助けが必要な人に適している。


・自己責任を持つことができる人

自己責任を持つことが重要。自分の行動や選択に対する責任を持つことができる人に適している。


・オープンマインドな人

自分の現状や選択肢を深く探求するためには、オープンマインドで新しい視点や考え方に対して開かれている人が適している。


・時間をかけて問題解決をしたい人

一定の時間と労力が必要。時間をかけてじっくりと問題解決をしたい人に適している。


ということです。


この ”対象者” に該当する人が企業内にどれだけいるでしょうか?

殆どいないでしょうね?


第一に、コーチンというのは、企業経営者トップアスリートムービースター、、、くらいにしか必要はないと思いますし、

 

適当なコーチング研修」を受けて企業の教育担当者が行うようなものではないと思うのです。

 

最近では、個別指導をウリにするでも、「〇△式コーチング」などと宣伝していますが、、、、やれやれという感じです。

 

まぁ、GROWモデル、、、という名称くらいは記憶しておいてもいいかもしれませんが、、、

「統合情報理論(IIT)」と「教育・学習」について

「意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論:ジュリオ・トノーニ , マルチェッロ・マッスィミーニ」をかなり前に読みました。

 

まだまだ研究の初期段階のようにも感じますが、今後の世界ではこのような理論や考え方が多く出てくるようにも思います。


そこで、今回は ”「統合情報理論(IIT)」と「教育・学習」” について考えてみます。


テレビやYouTube等によく出ている脳科学者」たちの言動を鑑みると、全くあてにならないような気もしてきますが、少なくともこの本を読む限りはある程度の認知は必要ではないか、と思います。

統合情報理論

ジュリオ・トノーニが提唱した

「統合情報理論(Integrated Information Theory、IIT)」は、


「意識の本質」を理論的に説明する試み


であり、大脳皮質が生成する複雑な情報の統合度合いが意識のレベルを決定すると主張しています。

脳の異なる部分がどのように連携して情報を処理するかという観点から説明しようとします。「統合情報理論」によれば、高度に統合された情報処理が行われている脳の部分は、それぞれが独自の「意識」を持つとされています。

 

(統合情報理論)は、「意識」


・「情報」

・「統合」


という2つの ”基本的な要素” で理解しようとする理論で、

以下の「3つの基本的な原則」に基づいています。


・情報

システムが特定の状態にあることは、それが取り得る他のすべての可能な状態と区別される情報を伝達する。


・統合

意識的な経験は分割できない一つの統合体で、その部分を分離することはできない。


・除外

意識的な経験は、特定のシステムとその状態にのみ存在する。それは他のシステムや状態によって変えることはできない。


「統合情報理論は、


「意識が存在するため」

には、

「情報が生成」され、

それが

「統合される」必要がある


と提唱しています。


この理論では、「意識の存在とレベル」は、システムが生成する「統合情報量」(Φ, phi)によって定義されます。Φの値が高いほど、システムは意識的だと考えます。


このあたりは、なんとなくですが、怪しい感じがしますね?


勿論、「統合情報理論には多くの批判があります。


・脳の特定の部分が切断されても意識が存在する事例

・理論が神経科学の実験結果と一致しない

・Φの計算は非常に複雑であり、大規模なシステムに対しては現実的に計算不可能であるという問題


などから、「統合情報理論の有効性についてはまだ議論が続いているようです。

 


「統合情報理論「教育・学習」に関連することで考えれば、


・学習と記憶の理解

情報の統合という観点から見たときに、脳がどのように情報を処理し統合するかについての理解を深めることができる。学習や記憶のメカニズムを理解するのに役立つ可能性がある。


・教育の個別化

個々の脳が異なる「統合情報量」を持つ可能性を示唆している。個々の学習者が異なる学習スタイルや能力を持つという考え方と一致する。したがって、この理論は教育の個別化やパーソナライズドラーニングの重要性を強調する可能性がある。


・意識的な学習

意識的な経験の重要性を強調している。学習者が自分の学習経験に意識的であること、つまり自分が何を学んでいるのか、どのように学んでいるのかを理解していることが重要であるという考え方を支持することができる。

 

個人の脳、意識が違うということは、全員同じ「教育・学習」では効果的・効率的ではない、、、、というインストラクショナルデザイン「教育・学習」理論の考え方と合致します。


PSI(Personalized System of Instruction):個別化教授システム)を推奨する根拠にもなりそうですね?


「情報」の「統合」とは、「学習」そのものですよね?


全くの専門外で「脳」も「意識」も曖昧にしかわかりませんが、このような研究が進んでいくにつれて、時代遅れの「教育・学習」の考え方が改善していってくれればいいですね。

フランク・ザッパのコトバ

フランク・ヴィンセント・ザッパ(Frank Vincent Zappa、1940年12月21日 - 1993年12月4日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、マルチプレイヤー、作曲家、編曲家、バンドマスター


「一番好きなミュージシャンは?」

 

と訊かれれば、

 

フランク・ザッパ

 

と、ここ30年ほどはそう答えています。


どこが好きか、、ということは置いておいて、今回はザッパが残したコトバについて考えてみます・
 

Information is not knowledge. (*)

Knowledge is not wisdom. (**)

Wisdom is not truth. (***)

Truth is not beauty.

Beauty is not love.

Love is not music.

Music is THE BEST.”

                         ― Frank Zappa


「情報は知識ではないし」 (*)

「知識は叡智ではない」 (**)

「叡智は真実ではなくて」 (***)

「真実は美なんかじゃない」

「美は愛ではないし」

「愛は音楽じゃない」

「音楽こそが最高のもの」

                         (フランク・ザッパ

ザッパ

「情報は知識ではない」「知識は叡智ではない」「叡智は真実ではなく」

正におっしゃるとおり、、、


「情報は知識ではない」については、多くの人が言っていますし、これだけでビジネス書を出版しているケースもあります。

 

「情報」をどのように捉え、必要なモノだけを取り込む、、、みたいなコトを延々と記した本がよくありますし、結構売れていたりします。


では、「知識は叡智ではない」は?


(叡智)

・深く物事の道理に通じる知恵。高い知性。

・哲学で、物事の真実在や真理を捉えることができる最高の認識能力。

・すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。


これも、いくつかのビジネス書や自己啓発書には記されていますが、「情報は知識ではない」に比べると、かなり数は減ります。


そして、「叡智は真実ではなくて」になると、まぁ、ほとんどないですね?


ザッパが一番言いたかったのは、最後の「音楽こそが最高のもの」ですが、私的には、この「叡智は真実ではなくて」というコトバが気になります。


確かに、「高い知性」が「真実」でないことは多々ありますね。


しかし、

 

世の中は「知性」が無く、「知性」に弱いので、

 

たとえ「真実」でなくても安易に「真実」だと思い込んでしまいます。


プラトンウィトゲンシュタインがこう言ったカントはこう言ってるから、、、、

 

という時代から、GPTがこう答えてるから、、、

みたいに。


学校で「先生がこう教えてくれた!」、、、にどれだけの”嘘”や”間違い”があったか、、を考えれば、、、、


「情報」だけでなく、「知識」も「知性」も疑う必要があるのでしょうね?


確かに、「真実」は「美しくない」場合が多いですね、、、

「学習環境デザイン」について思うこと

「学習」する「環境」を整えることが非常に大事であるということがよく言われます。


「学習環境デザイン」とは、

 

学習者を「能動的に学ぶ存在」として捉えながら、学習環境を「活動」「空間」「共同体」「人工物」という4つの要素に分解し、それぞれを結びつけながらデザインしていく考え方。


(学習環境デザインの4要素)

 

空間:どんな場所・空間で学ぶか

人工物:どんな道具や素材を用いて学ぶか

活動:どんな活動・経験から学ぶか

共同体:どんな人と、どんな関係性で学ぶか


こういったことは、ジョン・デューイの頃から考えられ、実施されていますね?

学習環境デザイン

確かに、「学ぶ環境」学習の「効果」「効率」「魅力」に大きく影響してきますから、「デザイン論」が生まれることも理解できます。


上記の要素のほかにも、4原則なるものがあり、


・学習者中心

・知識中心

・評価中心

・共同体中心

といった視点もあります。


こういった「学習環境」を作るのは、親、教師、学校、国、企業です。

 

そして、余程の昭和的感覚を持った人や組織でなければ、快適に学ぶ環境を提供してあげたいと考えることでしょう。


ところが、実際に上記のような要素や原則を考慮して、学習環境を作成し、学習者に提供したとしても、提供しなかった学習者と比べて大した差はでないように思います。

 

SAPIX鉄緑会→東大 みたいに、親にお金が無ければ実現できない環境もあります。

 

では、SAPIX鉄緑 という環境を整えたからといって、全員が東大に合格するというわけではないですね、、、学校でも、開成、灘、、の全員が東大に合格はしません(行きたいと思っていたとしても)。


こういった塾や学校は、上記の要素の「空間」「共同体」にあたりますね?

 

優秀な人たちと一緒に学べば優秀になる?

偏差値の高い学校に行けば優秀になる?

 

そんなことはマヤカシのように思います。

「空間」にあり、「共同体」に属しているから学ぶわけではないですね?


「人工物」は、わかりやすい例だと最近のICTを教育に、、というやつですね?

そして「活動」は、経験学習、、アクティブ・ラーニング、OJTみたいなモノでしょうか?


何となく、「環境」に注目することが少し安易で、胆略的だと感じるのです。

 

そうではなくて、「教育・学習自体のデザイン」を重視するべきだと思います。

 

鈴木先生が以前発表された「学習環境設計10箇条」というのがあります。


①講義と期末試験をやめる(反転授業・学習) 

②再利用できるものをつくる(教材シェル:LO) 

③くすぐってその気にさせる(教えない授業) 

④体験を次に伝える仕組みをつくる(ランチョン) 

⑤学習者の文脈を想像する(ユースケース) 

⑥現場で組み立てる(オーダーメイドの教育) 

⑦手ぶらでは集めない(アクティブラーニング) 

⑧今までの要素を再定義して一つだけ付け加える 

⑨やるべきことをやる(Practice What You Preach!) 

⑩常に最先端の実験場たれ(率先垂範) 


これは「学習環境設計」と名付けられていますが、実際には「方略デザイン」ですね?

こういったことの方が10000倍重要だと思います。


(学習環境デザインの4要素)というのは、「教える側」の論理だということです。

環境を整えることは確かに「教える側」の問題です。良いにこしたことはないでしょう。

しかし、それと「教育・学習」は別物のような気がするのです。

「好きな教科・嫌いな教科」情報提示の大きな影響(?)

先日、某教育関連企業のアンケートで、小中学生の「好きな教科」と「嫌いな教科」なんていう記事が目に留まったので、ほとんど意味はないですが、このことについて少し考えてみます。


アンケート結果としては、


(小学生の一番好きな教科)

 1位「体育」

 2位「算数」「図画工作」

 4位「音楽」5位「国語」


(小学生の一番嫌いな教科)

 1位「算数」

 2位「国語」

 3位「体育」

 4位「図画工作」5位「社会」


(中学生の一番好きな教科)

 1位「数学」

 2位「英語」「保健体育」

 4位「社会」5位「理科」


(中学生の一番嫌いな教科)

 1位「数学」

 2位「英語」

 3位「国語」

 4位「理科」「社会」

 

どうでしょう? これで何がわかるでしょう?

 

アンケートというのは、基本的に「取る側」のメリットを考えて作られるので、某教育関連企業の思惑は簡単に推測できますね?


”「算数」「数学」という科目への注目を惹きたい!”


ということです。

それも、


”「算数」「数学」が嫌いな人が多い”


だから、


”(私たちの教材で)「算数」「数学」を学びましょう!”


ということです。

好きな教科 嫌いな教科?

こういった情報はメディアを通して、アピールしたいことだけが強調して伝えられます。

 

冷静になって上記の内容を見ると、


「算数」は、小学生の一番好きな教科の2位

「数学」は、中学生の一番好きな教科の1位


です。

 

このことからは自然と目を逸らせるように伝えますし、

 

人の心理として「好きなモノ」より「嫌いなモノ」に注目してしまいます。


勿論、某教育関連企業営利企業ですから、商売にならないことはやりません。それは仕方がないことです。

 

しかし、問題なのは、こういった無意味な情報が、

 

” 国や人” の伝達によって「常識」といったものに形をかえていくことです。


少し前に流行った「女子は数学が苦手」みたいなデマトレンドで話が済めばいいのですが、


昨今の国公立大学「人文系」への超冷遇と、「理工系」だけしか残さない、みたいな風潮は、こういった「常識」からの流れであると思います。


”ICTだ!”、”DXだ!”、”AIだ!”、、、と、、


「教育・学習」という研究分野も、当然 ”ICT”も”AI”も使いますが、基本的には「人文系」ですね、、、


この国の大学から「哲学」「文学」「教育」なんていう学部がどんどん無くなっていっています。


「思考」はコンピュータ(AI)がしてくれる、、、、みたいな世界が本当にくるのでしょうか?


もし、そうなったとしたら、、、理工系も含めて、”人間”は不要になりますね、、、?


そして、いつの間にか「熊大」のRCiS(Research Center for instructional Systems:教授システム学研究センター)が、、閉鎖(?)となっていました。

 

まぁ、メンバーのほとんどがいなくなったのですから存続はできないとは思っていましたが、

 

”教授システム学研究センターについて( ~ 2023.3)”

 

となっていました。 去年の3月でやめた、、ということですね?

センターの開設時の催しや、その後の発表会などにも何度か参加したので、非常に悲しいです。

「GBS(Goal-Based Scenario)」について ~ 「学習目標」を提示した方が”いいのか?””よくないのか?”論争 ~

誰も論争をしているわけではないのですが、、、、

 

自分の中で少し引っかかるところがあった為、

 

今回は、「学習者」に「学習目標」を提示するか、しないか、と「GBS(Goal-Based Scenario)」について考えてみます。


インストラクショナルデザインの基本的な考えとして、

 

・真正な「学習目標」を作成し、学習者に提示する

 

ということがあります。


これは、学習者がこれから何を学び身につければいいのかを知った上でインストラクションを受ける(学ぶ)ということが、学習にとってメリットがあるという考えで、至極当たり前のことです。


真正な「学習目標」を作成できる人があまりに少ない、、、という事実は、今回は考えないことにして、)


ところが、GBS(Goal-Based Scenario)では、「学習目標」を提示しないというより敢えて隠して、行動、学習した結果、達成すべき知識・スキルの習得をさせるという考え方ですね。


さて、どっちがいいとか悪いとかの話しではなく、当然これもケースバイケースだし、学習する内容、学習環境によって適用できたり、ムリだったりするわけですが、、、


GBS自体は結構古い理論ですが、いまだに多く適用されているということは成果を出した例が多くあるということなのでしょうね?
アクセンチュアが有名)

GBS(Goal-Based Scenario)

では、GBSについて。


GBS(Goal-Based Scenario)とは,

 

行動することによって学ぶシナリオ型教材を設計するためのインストラクショナルデザイン理論であり,R. C. SCHANKによって提唱された。

 

SCHANKの人工知能における研究をベースとし,現実的な文脈の中で「失敗することにより学ぶ」経験を擬似的に与えるための学習環境として物語を構築するための理論.

 

ゴール(対象スキル)を学習者に明示するのではなく,使命を与え,カバーストーリーや役割といったシナリオの文脈によって,学習者に使命を達成する必要性を提示することによって,シナリオを読み進めながら,自然に知識やスキルを身につけて行くような設計が特徴。

 

熊大でかつて実施されていたSCC(Story-centered Curriculum:ストーリー型カリキュラム)ベース理論はGBSで、その違いは、

 

・GBSはひとつの科目や教材に活用される

・SCCはカリキュラムレベルに活用される

という点ですね。

 

また、「シミュレーション」環境をコンピュータ上に作成し、その中で現実の職場で起きる様々な問題や課題を経験し解決していく。

というコンピュータ(ハード&ソフト)ありきの考えなのですが、実際の適用例ではすべてをシャンクが考えたようにはやっていないでしょう(膨大な費用がかかる)が、まぁ、考えとしてGBSを元に、、、ということだと思います。


GBSの構成要素は、


(使命)

・学習者が達成しようとする目標.以下の要素を含んでいる必要がある

・学習者がやる気になり,達成しようと思う 

・学習に入り込み易い様に,学習者がすでに知っていることや興味があることと関連付けられている 

・学習目標内(ゴール)となるスキルや知識を使わせるものである


(カバーストーリー)

・使命を現実的な課題として位置づけるために用意する導入的文脈 

・話の中に,設計者側が教えたいと思うスキルを活用し,知識を探し出す十分な機会が設けられている

・話は面白みがあってやる気を与えるものである

・一貫性があって現実的な内容である


(役割)

・学習者がカバーストーリーの中で演じる人のこと

・必要とされるスキルを学習するのにもっとも適した役がシナリオから選ばれる必要がある

・学習者が演じる役割は特定されていることが重要


(学習目標)

・設計段階で定義されるが,学習者には目標として明示することはしない

・学習者に何を学んで欲しいかはっきりさせることが重要であり学習目標は以下の二つに分類

・プロセス知識:目標達成に必要なスキルをどのように訓練するかの知識 

・内容知識:目標達成に必要な情報


(シナリオ操作)

・学習者が使命を達成するために行うすべて作業

・使命と学習目標の二つが密接に関連付けられている

・学習者相互,もしくは教材のやり取りを通して学習者が結果を出せるように構成されている

・学習者が正しい情報を選択した場合は成功,正しく選択できなかった場合は”失敗”という結果を与える

・学習者が練習できる場をできる限り多く用意する


(フィードバック)

・適切なコンテンツの中で設定され,適切なタイミングで提供

・学習者が対象領域の内容とスキルを学習する場面に設定される

・行動による結果  

・コーチを通して 

・類似経験を持つ領域専門家の話を通して


(情報源)

・学習者が使命を達成するために必要とする情報

・学習者が使命を達成できることを支援するように,簡単にアクセスでき,良く構成された情報を十分に用意する

・学習者自身が望んだときにいつでも,情報を入手できるように設定する


GBSメリットデメリットは、

 

(メリット)

 

・実用的な学習

実際の職場や生活に即したシナリオを提供。学習者は理論的な知識だけでなく、それを実際の問題解決に適用する方法も学ぶことができる。


・高いモチベーション

学習者は自身の目標を達成するために、自身で学習を進めることができる。自己効力感を高め、学習へのモチベーションを向上させる。


・フィードバックと反復学習

学習者に継続的なフィードバックを提供。学習者は自身の理解を深め、スキルを磨くことができる。

 


(デメリット)

 

・時間とリソース

作成には多くの時間とリソースが必要。現実的なシナリオを作成し、適切なフィードバックを提供するためには、専門的な知識と経験が必要となる。


・個別のニーズへの対応

一般的なシナリオに基づいているため、個々の学習者の特定のニーズや目標に完全に合わせることは難しい場合がある。


・技術的な制約

多くのテクノロジーを活用するが、すべての学習者がこれらの技術にアクセスできるわけではない。技術的な問題が学習の障害となる可能性もある。


構成要素やメリットを見てみると、やはりゲーム感覚な感じがしますね?

 

このような「学習」がちゃんとできれば、確かに「学習目標」を事前に認知する必要もないかもしれません、、、


また、現実では”失敗”はしない方がいいという考えですが、”失敗”をシミュレーションの中で経験するという考えには賛同します。

 

こうすれば失敗するから、、、というのがわかっていればいいですからね?

 

通常のロープレなんかでは”成功”だけを学べますが、”失敗”の実態を学ぶというのはイイ考えだと思います。